第七巻 日の出の巻 第二十三帖 (R7.3.24)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第七巻 日の出の巻 第二十三帖です、お読み下さい。
第七巻 日の出の巻
第二十三帖 (二三六)
此の世の位もいざとなれば宝も富も勲章も役に立たんのざぞ、此世去って、役に立つのは身魂の徳だけぞ、身についた芸は其の儘役立つぞ。人に知れぬ様に徳つめと申してあろがな、神の国に積む徳のみが光るのざぞ、マアカタの御用結構であったぞ、富士晴れるぞ、湖 (うみ) 晴れるぞ。此の巻、日出之巻として纏めて役員に読ませて一二三として皆に知らせて呉れよ、神急くぞ。十二月二十九日、ひつ九のか三。
(日の出の巻了)
(太陽出版 新版 ひふみ神示 193頁 より)
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価格:8800円 |
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本帖の内容は、ある意味で意味深長な文章だと投稿者:加藤は思います。岡本天明が日月神示を降ろすようになってからの、彼の人生は苦労と苦難の連続だったということに、一般的には疑う余地が無いと思われます。彼は神命のままに、神の御用 (神業) に奉仕することになるのですが、その奉仕によって、名声が得られるわけもなく、人望が上がることもないし、更に金品が手に入るわけもなく、僅かな褒美が出ることもない人生だったと思われます。戦争中「本土大空襲」の最中、自分の身銭だけを切りに切って、神業に奉仕することなど、一般的には考えただけでも大変な苦労だったことは理解できます。戦後には、共に神の道を歩んだ最愛の妻 (佳代子) を病気で亡くしています (昭和二十四年夏) し、更に岡本天明自身も二度の大病を患い、死の淵まで行ったといいます。日月神示研究の方々は、この岡本天明の人生を「天明は本当に幸せだったのか?」ということを話題として上げるそうですが、投稿者:加藤は人生の幸せとか不幸とかは、他人からみるよりも、本人は気にしていないのだと思います。「今、行わなければならない事を行う、起こる事は、起こる様にして起こる」今、この時点で生かされている目的のために生きるのであって、幸か不幸かは関係ないのだと投稿者:加藤は思います。ある意味で自分の人生 (世界全体) を達観しているのだと思います。ですので、苦労を苦労とは思わないし、苦痛を苦痛とも思わず、ただただ受け止めているのだと思います。
さて、前置きが長くなりました、前置きの部分は「此の世の位もいざとなれば宝も富も勲章も役に立たんのざぞ、此世去って、役に立つのは身魂の徳だけぞ、身についた芸は其の儘役立つぞ。人に知れぬ様に徳つめと申してあろがな、神の国に積む徳のみが光るのざぞ」と書かれている文章の、説明とは思えないですが、投稿者:加藤なりにガンバッタ説明です。
「マアカタの御用結構であったぞ」は、印旛沼神業の成就に対して、神が岡本天明達を労った言葉です。「富士晴れるぞ、湖 (うみ) 晴れるぞ」は、富士の御用 (火) と、鳴門の御用 (水) のことです。この火と水の御用が成就することで、「神国日本の復活の型」が出ることを寿いたと投稿者:加藤は思います。
今回の投稿で、日月神示 第七巻 日の出の巻は終了となります。順番では、次回の投稿から日月神示 第八巻 磐戸 (一八十) の巻、全廿一帖に入るのですが、第八巻は全ての帖を投稿済ですので、次回からは日月神示 第九巻 キの巻に突入します。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。