第八巻 磐戸の巻 第十二帖 (R5.4.18)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。前回の投稿(R5.4.11)の神示では、百人に一人とありましたが、今回の帖では、千人に一人だそうです(チョット意味が違うけど)。厳しい神様ですネェ~~しかし、日月神示を深く読み進め、頭では無く心で理解する事で、日月の神様が如何に慈愛に満ち溢れた優しい神様かが理解できますので、大丈夫です。では、先ず今回の御題をお読みください。
第八巻 磐戸の巻
第十二帖 (二四八)
マコトの者は千人に一人ざぞ、向ふの国にはまだまだドエライ仕組してゐるから今の内に神の申すこと聞いて、神国は神国のやりかたにして呉れよ。人の殺し合ひ乍りではケリつかんのざぞ、今度のまけかちはそんなチョロコイことではないのざぞ、トコトンの処まで行くのざから神も総活動ざぞ、臣民石にかじりついてもやらねばならんぞ、そのかわり今度は万劫末代のことざから何時迄もかわらんマコトの神徳あたへるぞ。云はれぬこと、神示に出せぬことも知らすことあるぞ。一月十三日、⦿の一二のか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 205頁ー206頁 より)
これは、日月神示に書かれている大峠の一環である、単発的な戦争や、地球規模の大戦の事を書いていると、投稿者:加藤は思います。「神国は神国のやりかたにして呉れよ。人の殺し合ひ乍りではケリつかんのざぞ、今度のまけかちはそんなチョロコイことではないのざぞ」とありますので、神國とありますので日本にも関係がある事です。人の殺し合いばかりでは解決しないと言っているのですが、この部分だけみても、第三次世界大戦の事をほのめかしている事が判ります。
日月神示を深く理解して来ると、この短い帖の中から、かなりの情報を読取れる様になるのですが、「向ふの国にはまだまだドエライ仕組してゐるから今の内に神の申すこと聞いて、神国は神国のやりかたにして呉れよ」の部分で少々説明すると、向こうの國が、神國である日本を終の棲家にするために取りに来ると云う事だと読めます。この事は、先の大戦後の米國の不可解な行動にも現れています。戦後の日本では、それらの事を隠しています。戦後の義務教育で使用されている教科書などは、日本人が作成した物ではありません。一ッの例を上げるならば、大東亜戦争という戦争が、太平洋戦争と名を変えています。大東亜戦争では、米國にとって都合が悪いからです。考えてみて下さい、何故に亜細亜の國々が親日なのかを。戦後米國の不可解な行動は数えれば限が無いほどです。興味がある方はネットで調べて下さい。色々と出て来ると思います。調べると言っても、多岐に渡りすぎるので、先ずは何故に土着信仰(分類的にはですが)であった日本神道が、戦後に宗教団体とされてしまったのか?という辺りから探ると面白いかもですね。
尚、当ブログでは、日月神示や古神道、神道などに的を絞って投稿をさせてもらっていますので、付随する歴史等の内容は、読者が独自に調べてもらいたいという立場とさせていただきます。って言うか、これらを書き出したら、百科事典の量を越えちゃうしね。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。