第七巻 日の出の巻 第十帖 (R7.2.26)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第七巻 日の出の巻 第十帖です、お読み下さい。
第七巻 日の出の巻
第十帖 (二二三)
桜咲き神の国は明けそめにけり。十月になったらぼつぼつ会得るぞと申してあろがな。叩 (はたき) かけてばたばたと叩く処もあるぞ、箒で掃く処もあるぞ、雑巾かけしたり水流す処もあるのざぞ、掃除始ったらばたばたに埒 (らち) つくと申してあろがな、めぐりだけの事は、今度は何うしても借銭無しにするのざぞ、花咲く人もあるぞ、花散る人もあるぞ。あめのひつ九のかミの御神名書かすぞ、それを皆の者に分けてやれよ。聴き度い事はサニワで聞けよ、何んなことでも聞かしてやると申してあろがな、神せけるぞ。火咲くぞ。十二月十日、ひつくのか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 180頁ー181頁 より)
![]() | 価格:8800円 |
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本帖の解釈も難解だと投稿者:加藤は思います。「桜咲き神の国は明けそめにけり」からの書き出しですが、文章からは、神が喜んでいることが伺える文章です。大東亜戦争の末期に喜ばしいこととは何なのでしょうか?これは個々の人間のことだけではなく、日本国のめぐり (カルマ) 取りのことと考えればシックリ来ます。日本全国に投下された爆弾 (核弾頭を含む) により、日本国が抱えるカルマの浄化が、必要だったのでしょう。それは「めぐりだけの事は、今度は何うしても借銭無しにするのざぞ」の文章からも伺えます。
「花咲く人もあるぞ、花散る人もあるぞ」とは、日本国のことではなく、個々の人間のことで、身魂が磨けた人=花咲く人で、身魂の磨枯れていない人=花散る人と理解してよいと思います。
最後に「あめのひつ九のかミの御神名書かすぞ、それを皆の者に分けてやれよ。聴き度 (た) い事はサニワで聞けよ、何んなことでも聞かしてやると申してあろがな」ですが、これは岡本天明達に宛てた文章ですので、今回は解釈を飛ばします。興味のある方は、色々と調べて見て下さい。此処の文章の意味が解ってくると、日月の神様の優しさが見えてくると投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。