第七巻 日の出の巻 第九帖 (R7.2.25)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第七巻 日の出の巻 第七帖です、お読み下さい。
第七巻 日の出の巻
第九帖 (二二二)
人神とまつはれば喜悦 (うれ) しうれしぞ、まつはれば人ではなく神となるのぞ、それが真実 (まこと) の神の世ぞ、神は人にまつはるのざぞ、 • と 〇 と申してあろが、戦も • と 〇 と壊し合ふのでは無いぞ、 • と 〇 とまつらふことぞ、岩戸開く一つの鍵ざぞ、和すことぞ、神国真中に和すことぞ。それには 〇 掃除せなならんぞ、それが今度の戦ぞ、戦の大将が神祀らねばならんぞ。二四 (にし) は剣 (つるぎ) ざぞ。神まつりは神主ばかりするのではないぞ、剣と鏡 (かがみ) とまつらなならんぞ、まつはれば霊 (たま) となるのざぞ。霊なくなってゐると申して知らせてあろがな、政治も教育も経済の大将も神祀らねばならんのぞ。天の天照皇大神様は更なり、天の大神様、地 (くに) の天照大神様、天照皇太神様、月の神様、特に篤く祀り呉れよ、月の大神様御出でまして闇の夜は月の夜となるのざぞ。素盞嗚の大神様も篤く祀りて呉れよ、此の神様には毎夜毎日御詫びせなならんのざぞ、此の世の罪穢負はれて陰から守護されて御座る尊い御神様ぞ、地の御神様、土の神様ぞ、祓ひ清めの御神様ぞ、国々の産土の神様祀り呉れよ、遅くなればなる程苦しくなるのざぞ、人ばかりでないぞ。十二月八日、ひつ九のか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 179頁ー180頁 より)
![]() |
価格:8800円 |
今回の投稿は、順番では日月神示 第七巻 日の出の巻 第七帖になるのですが、第七帖と同巻の第八帖は (R5.3.3) 第七帖と、(R.5.5.30) 第八帖と、既に投稿済みですので、今回の投稿は第九帖に飛びます。
本帖に段落はないですが、二ッの内容に別れています。前段は書き出しから、「政治も教育も経済の大将も神祀らねばならんのぞ」迄で、後段は「天の天照皇大神様は更なり」から、帖の最後までとなります。本帖の内容は非常に難解で、かなり解説が難しいです。というのは、日月神示全体を一読していれば「アァ〜そういうことか」と見えてくるのですが、本帖だけを読んで、何かの意味を探ることは無理かもしれません。
「神まつりは神主ばかりするのではないぞ」に対して、日月神示 第五巻 地つ巻 第八帖に、「神主ばかりでないぞ、皆心得ておけよ、 ⦿ のことは神主に、仏は坊主にと申していること根本の大間違いぞ」と書かれていました。
「剣と鏡 (かがみ) とまつらなならんぞ、まつはれば霊 (たま) となるのざぞ。霊なくなってゐると申して知らせてあろがな」に対して、日月神示 第三巻 富士の巻 第三帖に、「玉とは、御魂 (おんたま) ぞ、鏡とは内に動く御力ぞ、剣 (つるぎ) とは外に動く御力ぞ、これを三種 (みくさ) の神宝 (かんだから) と申すぞ。今は玉がなくなっているのぞ、鏡と剣だけぞ、それで世が治ると思うているが、肝腎の真中ないのざ、それでちりちりばらばらぞ。アとヤとワの世の元要るぞと申してあろがな、この道理わからんか、剣と鏡だけでは戦勝てんぞ、それで早う身魂磨いてくれと申してあるのぞ」と書かれていました。
上記の例だけでなく、当ブログで未だ投稿していない、先の巻の内容を読み込んでいくと、過去の投稿で投稿者:加藤がシレッと解釈を飛ばした部分も見えてくると思います。過去の日月神示の内容と本帖から、「玉、鏡、剣」は「ア、ヤ、ワ」に対応していることが読み取れます。玉 (ア) は真中で、鏡 (ヤ) は内に働く力で、剣 (ワ) は外に働く力だということが見えてきました。本帖の読んで理解できる日本語の部分 (和すことの大事さ、素盞嗚の大神様に御詫びし、毎日篤く祀る事など) に関しては、そのままに受け取ればよいと投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。