第七巻 日の出の巻 第四帖 (R7.2.19)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第七巻 日の出の巻 第四帖です、お読み下さい。

第七巻 日の出の巻

第四帖 (二一七)

 旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は幾らでもあるぞと申してあろが、此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ。其の時は五六七 (みろく) の世となるのざぞ。桜花 (さくらばな) 一度にどっと開く世となるのざぞ、神激しく臣民静かな御代 (みよ) となるのざぞ、日日 (ひにち) 毎日富士晴れるのざぞ、臣民の心の富士も晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、心晴れたり日本晴ぞ。十二月二日、ひつくのかみ。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 176頁 より)

ひふみ神示/岡本天明【3000円以上送料無料】

価格:8800円
(2025/2/18 07:31時点)
感想(0件)

 本帖には、日月神示 第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第十帖にも登場した「恐い日と結構な日」が似たような文章で再登場しています。この「恐い日」と「結構な日」とはどのような意味で解釈すればよいかということなのですが、当ブログをご愛顧下さる皆さまにはウスウス勘付いていると思いますけれど、身魂が磨かれていて「神人一体」の状態に近い人には「結構な日」であり、身魂の磨かれていない「体主霊従」の人には「恐い日」となると理解して間違えないと投稿者:加藤は思います。

 「神激しく臣民静かな御代 (みよ) となるのざぞ」とは不可解 (不思議) な言回しですが、桜の花が一度にどっと咲く、ミロクの世では、神激しく=神が主で、臣民静か=臣民が従う世だと理解してよいと投稿者:加藤は思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。