第七巻 日の出の巻 第三帖 (R7.2.18)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第七巻 日の出の巻 第三帖です、お読み下さい。
第七巻 日の出の巻
第三帖 (二一六)
次の世とは通基 (月) の世の事ざぞ、一ニ (ひつき) の通基 (ニ) の世ぞ、⦿ 記号*1 の月の世ぞ、取違ひせん様に致して呉れよ。智や学がありては邪魔になるぞ、無くてもならぬ六ヶ敷い仕組ぞ、月の神様祀りて呉れよ、素盞嗚 (すさなる) の神様祀りて呉れよ、今に会得 (わか) る事ぞ、日暮よくなるぞ、日暮 (一九れ) に祀り呉れよ、十柱揃ふたら祀り呉れいと申してあらうがな、神せけるのざぞ、十二月二日、ひつくのかみふで。
*1 三日月の中心に丸。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 176頁 より)
価格:8800円 |
本帖を理解するためには、かなり大量の知識が必要になると投稿者:加藤は思います。当ブログで何度も紹介した、黒川 柚月著の「岡本天明伝」はもちろんのことですが、同著の「日月神示が語る今この時」などに書かれている内容も知識として必要だと投稿者:加藤は考えますが、その辺りは興味のある方だけが書籍を漁り読めばよいと投稿者:加藤は思います。日月神示の内容を、ある程度理解しない内に、日月神示の文章を深読み、裏読みなどをしてしまうことは、投稿者:加藤はあまりお勧め出来ないと考えています。それよりも何度も何度も日月神示を読むことの方が理解が進むと投稿者:加藤は思います。
さて、本帖をザックリと解釈すると、次の世は月読尊の世だと書き始められて、「素盞嗚 (すさなる) の神様祀りて呉れよ」の部分まで、月読尊と素盞嗚尊のことが書かれています。ここに天照大神のことが書かれていない理由は、伊勢系から出雲系の世に移ることが暗示されていると投稿者:加藤は思います。「日暮よくなるぞ、日暮 (一九れ) に祀り呉れよ」の部分に関しては、日月神示 第四巻 天つ巻 第二十七帖のも「夕方よくなるぞ」と書かれていました。これは体主霊従から霊主体従への転換を示す言葉と解釈出来ます。ただ本帖では、日暮よくなるぞだけでなく、日暮に祀り呉れよとも書かれていて、黒川柚月氏の著書にも、実際に神祀りを日暮に行ったという事実があったことが記されています。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。