第七巻 日の出の巻 第一帖 (R7.2.16)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第七巻 日の出の巻 第一帖です、お読み下さい。
第七巻 日の出の巻
第一帖 (二一四)
春とならば萌 (もえ) 出づるのざぞ、草木許りでないぞ、何もかももえ出づるのぞ、此の方の申す事譬でないと申してあろが、少しは会得 (わか) りたか。石もの云ふ時来たぞ、此の道早く知らして呉れよ、岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、那岐 (なぎ) 、那美 (なみ) の尊の時、天照大神の時、神武天皇の時、仏来た時と、大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、その五度の岩戸閉めであるから此度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。愈々きびしく成ってきたが此れからが正念場ざぞ、否でも応でも裸にならなならんぞ、裸程結構なもの無い事始めて会得 (わか) りて来るぞ。十二月一日、一ニ⦿。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 175頁 より)
価格:8800円 |
今回の投稿から日月神示 第七巻 日の出の巻に入ります。この第七巻から、日月神示 基本十二巻の後半へ突入です。本帖ではまず、過去に降ろされた神示が反復されていますので、もう一度過去の巻の投稿を確認してみて下さい。「春とならば萌 (もえ) 出づるのざぞ、草木許りでないぞ、何もかももえ出づるのぞ、此の方の申す事譬でないと申してあろが」の部分では、日月神示 第六巻の内容が反復されていると投稿者:加藤は思います。「石もの云ふ時来たぞ、此の道早く知らして呉れよ」の部分では、日月神示 第四巻の内容が反復されていると投稿者:加藤は思います。
日月神示を読み進めるために、非常に大切な概念である「岩戸は五回閉められてゐるのざぞ」を、時系列で書き止めて置きたいと思います。
一回目の岩戸閉め:イザナギ・イザナミの二柱が離別した時。
二回目の岩戸閉め:騙した岩戸から騙したアマテラスが出て来た時。
三回目の岩戸閉め:スサナルが無実の罪を着せられて追放された時。
四回目の岩戸閉め:神武天皇が人皇 (じんのう) として立った時。
五回目の岩戸閉め:仏教と共に仏魔 (ぶつま) が日本に入り込んで来た時。
上記の岩戸閉めで、我々人間にとって大切で、我々人間に深い関係性のある岩戸閉めは、三回目の素盞嗚の追放だと投稿者:加藤は考えます。何故ならば素盞嗚は「地の国の主宰神」だからです。実際、素盞嗚が追放されたことが、地上界に移写し、てんし様までもが追放され、替わりに人皇が即位しています。これが、古事記でいう「国譲り」の話の真相だと投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。