第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第三十八帖 (R7.2.10)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第三十八帖です、お読み下さい。

第六巻 日月 (ひつ九) の巻

第三十八帖 (二一一)

 大きアジアの国々ぞ、島々八十 (やそ) の人々と、て握り合ひ神国の、光り輝く時来しと、皆喜びて三千年、神の御業 (みわざ) の時来しと、思へる時ぞ神国の、まこと危き時なるぞ、夜半に嵐のどっと吹く、どうすることもなくなくに、手足縛られ縄付けて、神の御子等を連れ去られ、後には老人不具者 (としよりかたわ) のみ、女子供もひと時は、神の御子たる人々は、悉々暗い臭い屋に、暮さなならん時来るぞ、宮は潰され御文 (みふみ) 皆、火にかけられて灰となる、この世の終り近づきぬ。この神示 (ふで) 心に入れ呉れと、申してある事わかる時、愈々間近 (まちか) になりたぞよ。出掛けた船ぞ、褌締めよ。十一月三十日、ひつ九のか三。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 169頁 より)

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 本帖の受け取り方は、読み手によって変わる日月神示らしい文章だと投稿者:加藤は思います。「まこと危き時なるぞ」の「時」とは何時なのかの受け取り方で、解釈は大きく変わると思います。本帖が降ろされた、時代からみて、日清、日露を経て大東亜戦争の終戦までのことを指しているのか、それとも未だ地上界に到来していない大峠を指しているのか。「愈々間近 (まちか) になりたぞよ」という部分を拾うと、本帖の降ろされた時代背景から、大東亜戦争の終戦までのことと読めます。しかし「この世の終り近づきぬ」という部分を拾うと、地上界には未だ大峠が到来していないので、神界か幽界のことを指していて、未来の大峠のことと読めます。そしてまた、素直に両方の預言 (予言ではなく預言です) と読むことが正しいのかもしれません。

 どちらにせよ「出掛けた船ぞ、褌締めよ」と覚悟を促す言葉で締め括られている帖ですので、何時何が起こってもビクリともしないように、心の覚悟だけはして置くことが必要だと投稿者:加藤は思います。そして、心からの覚悟とは、身魂磨きが進んでいないと出来ないことなのだとも思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。