第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第三十六帖 (R7.2.5)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第三十六帖です、お読み下さい。

第六巻 日月 (ひつ九) の巻

第三十六帖 (二〇九)

 今の臣民見て褒める様な事は皆奥知れてゐるぞ。之が善である、まことの遣方ぞと思ってゐる事九分九厘迄は皆悪のやり方ぞ。今の世のやり方、見れば判るであらうが、上の番頭殿悪い政治すると思ってやってゐるのではないぞ。番頭殿を悪く申すのでないぞ。よい政治しようと思ってやってゐるのぞ。よいと思ふ事に精出してゐるのざが、善だと思ふ事が善でなく、皆悪ざから、神の道が判らんから、身魂曇りてゐるから、臣民困る様な政治になるのぞ。まつりごとせなならんぞ。わからん事も神の申す通りすれば自分ではわからんこともよくなって行くのざぞ。悪と思ってゐることに善が沢山あるのざぞ。人裁くのは神裁くことざぞ。怖いから改心する様な事では、戦がどうなるかと申す様な事ではまことの民ではないぞ。世が愈々のとことんとなったから、今に大神様迄悪く申すもの出て来るぞ。産土様何んぞあるものかと、悪神ばかりぞと申す者沢山出てくるぞ。此の世始まってない時ざから我身我家が可愛い様では神の御用つとまらんぞ。神の御用すれば、道に従へば、我身我家は心配なくなると云う道理判らんか。何もかも結構な事に楽にしてやるのざから、心配せずに判らん事も素直に云う事聞いて呉れよ。子に嘘吐く親はないのざぞ。神界の事知らん臣民は色々と申して理屈の悪魔に囚はれて申すが、今度の愈々の仕組は臣民の知りた事ではないぞ。神界の神々様にも判らん仕組ざから、兎に角申さずと、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いて呉れよ。それが第一等ざぞ。此の神示は世に出てゐる人では解けん。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で気狂と云はれ、阿呆と謂はれても神の道素直に聞く臣民でないと解けんぞ。解いてよく噛砕いて世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ。苦労喜ぶ心より楽喜ぶ心高いぞ。十一月二十九日、一二⦿。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 167頁ー168頁 より)

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 本帖の鍵となる所は「之が善である、まことの遣方ぞと思ってゐる事九分九厘迄は皆悪のやり方ぞ」と「よい政治しようと思ってやってゐるのぞ。よいと思ふ事に精出してゐるのざが、善だと思ふ事が善でなく、皆悪ざから、神の道が判らんから、身魂曇りてゐるから、臣民困る様な政治になるのぞ」と「今に大神様迄悪く申すもの出て来るぞ。産土様何んぞあるものかと、悪神ばかりぞと申す者沢山出てくるぞ」です。これは、現代的な言葉でいうと「マインド・コントロール」にかかった人が、善い行いと思い込み行う行為が、結果的にマインド・コントロールを仕掛けた人だけが利益をもたらすということになる現象を説明している文章だと投稿者:加藤は思います。「悪神ばかりぞと申す者沢山出てくるぞ」ですが、これは臣民の心が荒み「神も仏もない、この世は疫病神だらけだ」という精神状態になるという意味で、これがマインド・コントロールにより、我れ善しの体主霊従状態にある臣民が「自分は善い行いをし、霊主体従の状態だ」と勘違いしているということです。ですので神示に「身魂曇りてゐるから」と注意書きがされているのです。このことからも、身魂磨きの重要性が解ると投稿者:加藤は思います。

 本巻の第三十四帖、第三十五帖、本帖は、一連の内容だと考えてよいと投稿者:加藤は思います。そこで、この連続する三帖でいう所の、身魂を磨くにはどうすればよいのかを、この三帖から読み解いて見たいと思います。

◎ 神を祀り、あれこれ心配しないで、神示を腹に入れて、素直に神のいうことをきく。

◎ 悪と思っていることの中に、沢山の善があることを常に意識し考える。

◎ 神界のことは、臣民には知ることは出来ないので、理屈の悪魔に囚われない。

この連続する三帖からは、上記のような身魂磨きを促していると投稿者:加藤は思いますが、身魂磨きは、上記の三ッだけでは当然ないです。探求小屋の方で、身魂磨きを探求していますので、一度読んでみて下さい。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。