第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第三十三帖 (R7.2.2)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第三十三帖です、お読み下さい。

第六巻 日月 (ひつ九) の巻

第三十三帖 (二〇六)

 宝の山に攻め寄せ来ると申してくどう気付けておいたでないか。神の国にはどんな宝でもあるのざぞ ⦿ (かみ) の国、昔から宝埋けておいたと申してあろがな。〇 (かみ) の国にも埋けておいてあるのざぞ。この宝は神が許さな誰にも自由にはさせんのざぞ。悪が宝取らうと思ったとてどんなに国に渡り来てもどうにもならん様に神が守ってゐるのざぞ。いよいよとなりたら神がまことの神力出して宝取り出して世界のどんな悪神も神の国にはかなはんと申す所まで、とことん心から降参する所まで、今度は戦するのざから臣民余程見当取れんことに、どんな苦労もこばらなならんのざぞ。知らしてありた事、日 (にち) 々どしどしと出て来るぞ。われよしすてて呉れよ。十一月二十八日、ひつ九のか三。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 165頁 より)

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 本帖を理解するには「宝」という鍵になる言葉を理解しなければならないと思いますが、この宝とは何かがサッパリ判らない。出口王仁三郎の「霊界物語」に「真澄 (ますみ) の玉」「潮満 (しおみつ) の玉」「潮干 (しおひる) の玉」「如意宝珠 (にょいほうじゅ) 」等々の神宝は登場していますが、この霊界物語に登場する神宝が日月神示でいう宝なのかも判りません。

 「昔から宝埋けておいたと申してあろがな」ですが投稿者:加藤にはこの言い回しが気になります。宝埋 (い) けておいたということは、宝が現状では出て来れないとも受け取れます。「いよいよとなりたら神がまことの神力出して宝取り出して世界のどんな悪神も神の国にはかなはんと申す所まで、とことん心から降参する所まで、今度は戦するのざから臣民余程見当取れんことに、どんな苦労もこばらなならんのざぞ」とも書かれていますので、本来ならばいよいよとなる前に、我々が悪神の仕組によって「我れ善し、体主霊従」の状態に堕ちてしまっている状態から抜け出し「霊主体従」に戻らなければ、大峠は大難となってしまうということを説明している帖だと投稿者:加藤は思います。大難を小難にするには、やはり身魂磨きによる気付きが大切になるのでしょう。

 また本帖では 〇 も「かみ」と表現しています。ですので、本帖の 〇 は、神は神でも「悪神」と読むのだと投稿者:加藤は理解しています。日月神示では悪神を「排除」や「抹殺」するようなことはなく、全ての 〇 に • を入れて ⦿ にするといっています。神の御用の中に、悪の御用も存在していると投稿者:加藤は考えます。我々や悪神が御用の意味と内容を勘違いしているだけなのだと投稿者:加藤は思います。元の大神様は、森羅万象の魂が成長することを望んでいると思いますので、我々や悪神が他者の魂の成長を邪魔することは、あってはならない行為なのでしょう。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。