第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第三十二帖 (R7.1.29)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第三十二帖です、お読み下さい。

第六巻 日月 (ひつ九) の巻

第三十二帖 (二〇五)

 おもてばかり見て居ては何も判りはせんぞ。月の神様まつりて呉れよ。此の世の罪穢れ負ひて夜となく昼となく守り下さる素盞嗚神様あつくまつり呉れよ。火あって水動くぞ。水あって火燃ゆるぞ。火と水と申しておいたがその外に隠れた火と水あるぞ。それを一二三と云ふぞ。一二三とは一二三と云ふ事ぞ、言波ぞ。言霊 (コトタマ) ぞ、祓ひぞ、記号*1 ぞ。スサナルの仕組ぞ。成り成る言葉ぞ、今の三み一たいは三み三たいぞ。一 (ひ) とあらはれて二三 (ふみ) かくれよ。月とスサナルのかみ様の御恩忘れるでないぞ。御働き近づいたぞ。十一月二十七日、ひつ九かみ。

*1 中心から時計回りの渦巻。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 164頁ー165頁 より)

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感想(12件)

 本帖の特徴は、神名が意図的に伏せられて書かれていることです。本帖が降ろされた時代背景もそうですが、現代の社会的な背景も、投稿者:加藤にはさほど変わりはないと思います。ですので、本帖の解釈に関して、皆さまから「フザケルナ」とお叱りを受ける内容になる可能性もありますが、一ッの解釈として受け止めてもらいたいと思います。言葉 (特に文字だけの) は、誤解を招き易いものですので、投稿者:加藤も細心の注意をして投稿を心掛けていますが、本帖の内容は特に注意が必要だと思いますので、解釈を始める前に少々の言い訳を先にさせてもらいました。

 では本題ですが「おもてばかり見て居ては何も判りはせんぞ」との書き出しです。この書き出しの文章は「今の三み一たいは三み三たいぞ」の文章を理解しないと、解らない書き出しの文章ですので、先ずは「今の三み一たいは三み三たいぞ」の説明をすると、本巻の第二十五帖と第二十八帖にも書かれている内容ですが、アマテラス・ツキ (ク) ヨミ・スサノオ (ナル) の三貴神は、三位一体でなければならないのですが、現代の我々が知っている古事記によると、アマテラスが一番偉いとされており、三位三体状態になっているということです。では、何故このようなことになっているかというと、アマテラス直系の天皇家の存在があるのだと投稿者:加藤は思います。この内容を理解すると「おもてばかり見て居ては何も判りはせんぞ」の言葉も理解出来てくると投稿者:加藤は思います。

 謎掛け的な投稿文になってしまい、申し訳ないのですが、内容が内容ですので察して下さい。投稿者:加藤は天皇家を否定するものではないことも付け加えさせてもらいます。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。