第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第三十一帖 (R7.1.28)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第三十一帖です、お読み下さい。
第六巻 日月 (ひつ九) の巻
第三十一帖 (二〇四)
一二三三四五六七八九十百千卍 (ひふみみよいつむななやここのたりもちよろず) 。今度は千人万人力出ないと手柄出来んと申してあろがな。世界中総掛りで攻めて来るのざから、一度はあるにあられん事になるのぞ。大将ざからとて油断出来ん。富士の山動く迄にはどんな事も耐 (こら) えねばならんぞ。上辛いぞ。どんなことあっても死急ぐでないぞ。今の大和魂と神の魂と違ふ所あるのざぞ。その時その所によりて、どんなにも変化るのが神の魂ぞ。馬鹿正直ならんと申してあろ。今日 (けう) あれし生命勇む時来たぞ。十一月二十六日、一二⦿。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 164頁 より)
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冒頭の「一二三三四五六七八九十百千卍 (ひふみみよいつむななやここのたりもちよろず) 」は、「天 (あめ) の数歌 (かずうた) 」といわれるもので、日月神示の教える「神祀り、礼拝」にて宣るものの一ッです。
本帖は全体的に大峠に対する内容なのですが、「富士の山動く迄にはどんな事も耐 (こら) えねばならんぞ。上辛いぞ。どんなことあっても死急ぐでないぞ」と書かれて居ますので、単純に考えて、富士山が噴火を起こすまでが、大峠の本番で、富士の爆発による「大峠終了」の合図まで、死に急いでは駄目だという意味だと投稿者:加藤は思います。
「今度は千人万人力出ないと手柄出来んと申してあろがな」ですが、二十三帖に「神が移りたら人が思はぬ事出来るのざぞ。今度は千人力与へると申してあろが」と書かれていたことと同じで、「神人一体」でなければ「神の御用」は務まらないという意味です。「神人一体」となれば、千人万人力となるのでしょう。
「今の大和魂と神の魂と違ふ所あるのざぞ」「馬鹿正直ならんと申してあろ」ですが、「その時その所によりて、どんなにも変化 (かわ) るのが神の魂ぞ」とも書かれていますので、臨機応変に対応しなければ駄目だということを伝えた文章だと投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。