第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第二十三帖 (R7.1.14)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第二十三帖です、お読み下さい。

第六巻 日月 (ひつ九) の巻

第二十三帖 (一九六)

 一升枡には一升しか入らぬと臣民思ふてゐるが豆一升入れて粟入れる事出来るのざぞ。その上に水ならばまだはいるのざぞ。神ならばその上にまだ幾らでもはいるのざぞ。神が移りたら人が思はぬ事出来るのざぞ。今度は千人力与へると申してあろが。江戸の仕組世の終りぞ。天おろがめよ。つちおろがめよ。まつはれよ。秋の空グレンと申してあろがな。冬も春も夏も気つけてくれよ。十一月十三日、ひつ九か三。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 156頁ー157頁 より)

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感想(12件)

 本帖の解釈は、本当に十人十色ではないかと投稿者:加藤は思います。「一升枡には一升しか入らぬと臣民思ふてゐるが豆一升入れて粟入れる事出来るのざぞ。その上に水ならばまだはいるのざぞ。神ならばその上にまだ幾らでもはいるのざぞ」と書き始められています。確かに一升枡に豆を入れて、豆よりも小さな粟 (あわ) ならば、豆の隙間に入る。さらに水を入れることも可能である。しかし、その次の文章「神ならばその上にまだ幾らでもはいるのざぞ」です。この解釈は人それぞれの解釈があると思います。しかし、日月神示的に考えるならば、神とは霊体であるので、物質を超越していると考えることが出来ると投稿者:加藤は思います。

 「神が移りたら人が思はぬ事出来るのざぞ。今度は千人力与へると申してあろが」と続きます。ミロクの世で、人は「半霊半物質」となるといわれています。神が移った人間は、一升枡に幾らでも入れられるようになるので、千人力が与えられた力を持つことになります。

 「江戸の仕組世の終りぞ」からの文章は、岡本天明達の神業である「江戸の仕組」のことですが、江戸の仕組が成就すれば、岩戸開きに繋がり、大峠へ向かう。即ち物質世界の終わり=世の終わり、と読めるのですが、「大本神諭」にも似たような文章が降ろされていまして、こちらを追求深読みしていくと、本が一冊書ける内容量となってしまいますので、本投稿では説明を避けたいと思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。