第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第十八帖 (R7.1.6)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第十八帖です、お読み下さい。

第六巻 日月 (ひつ九) の巻

第十八帖 (一九一)

 ツギニイザナミノミコト、イザナミノミコトニ、アマノヌホトヲタマヒテ、トモニ、タタヨヘル、コトクニツクリカタメナセトコトヨサシタマヒキ。

 日に日に烈しくなると申してあろがな。水いただきにあげなならんぞ。お土掘らねばならんぞ。言波とくに磨きて呉れよ。コトに気つけて呉れとくどう申してあろが。してはならず。せねばならず、神事に生きて下されよ。十一月六日、ひつ九のか三しらすぞ。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 154頁 より)

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感想(12件)

 さて冒頭の神話の部分をみてみたい。

次に伊邪那美命、伊邪那美命に、天の沼陰を賜いて、共に漂えること地修理固成せと言依さし賜いき。

この部分、古事記を読んだことがある方は、アレッ?って思ったと思います。そうです「古事記」に記述されていない内容です。ここで初めて「日月神示」と「古事記」の違いが出てきました。ここで一ッ注目して置きたいことは、「次に伊邪那美命、伊邪那美命に」の部分で、伊邪那美命が二度続けて書かれていますが、これは引用文献の誤植では無く、日月神示の原典をみても「一三七三」が二回繰り返されて記されています。しかし、ここは「次に伊邪那岐命、伊邪那美命に」と読んで間違えないと投稿者:加藤は理解しています。では古事記に記述がない神話の内容を解釈して行きましょう、この内容は極めて重要な内容となります。天津神が、伊邪那岐命と伊邪那美命に「天の沼陰」を与えて、漂える地を修理固成せと命じたことは、読んだ通りです。「天の沼陰」とは「女性器」の象徴ですので、「女性原理」を表します。前帖で天津神は、伊邪那岐命と伊邪那美命に「天の沼矛」を与えています。「天の沼矛」とは「男性器」の象徴ですので、「男性原理」を表します。要するに、「日月神示の創世神話」では、最初から「天の沼矛」と「天の沼陰」が揃っていたことになります。これは極めて、極めて重要な部分です。古事記に書かれている「天の沼矛=男性原理」だけの世では、男性優位な一方的な世界になってしまいます。日月神示の世界観では「天の沼矛=男性原理」と「天の沼陰=女性原理」の両方が揃うことにより、調和した理想世界が創造されるとされているのだと投稿者:加藤は思います。

 神話の部分が長くなりましたので、「言波とくに磨きて呉れよ。コトに気つけて呉れとくどう申してあろが」の部分だけを解釈しておきます。言葉=言霊に注意しなければならないので、自分の言葉使いに磨きをかけて下さいという意味だと投稿者:加藤は思います。言葉、特に日本語は呪文ですので、使い方を間違えると、とんでもない事になると思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。