第五巻 地(九二)の巻 第二十三帖 (R5.3.28)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。早速ですが、本日の御題。 第五巻 地(九二)つ巻 第二十三帖です。 先ずお読み下さい。
第五巻 地(九二)つ巻
第二十三帖
この神示心で読みて呉れよ、九ェだして読みて呉れよ、病も直るぞ、草木もこの神示よみてやれば花咲くのざぞ。この道弘めるには教会のやうなものつとめて呉れるなよ、まとゐを作りて呉れるなよ。心から心、声から声、身体から身体へと広めて呉れよ、世界中の臣民みなこの方の民ざから、早う伝へて呉れよ。神も人も一つであるぞ、考へてゐては何も出来ないぞ、考へないで思ふ通りにやるのが神のやり方ぞ、考は人の迷ひざぞ、今の臣民身魂くもりてゐるから考へねばならぬが、考へればいよいよと曇りたものになる道理分らぬか。一九れを気つけて呉れよ、日暮れよくなるぞ、日暮れに始めたことは何でも成就するやうになるのざぞ、一九れを日の暮れとばかり思うてゐると、臣民の狭い心で取りてゐると間違ぶぞ。⦿のくれのことを申すのざぞ。九月の二十八日、ひつ九のか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 127頁ー128頁 より)
日月神示には、いくつか鍵となる言葉があります。その鍵となる言葉が含まれる帖を選んで、早めに日月神示の鍵となる言葉を全て、この言葉が鍵ですよと知らせてしまえる様な投稿をして来ましたが、一寸まとまりが悪くなりそうですし、日月神示は読む人により、八通りに読めるといいますし、また一つの鍵となる言葉が、広がりを見せて行きますので、先ず鍵となる言葉を出してしまおうと云う方向性は止めて、しっかりと一帖々々を(日を変えて、何度も同じ帖が出て来る事はあると思いますが)掘り下げて行く事にします。
さて、今回の鍵は「身魂磨き」ですが、身魂が曇っていると「考えないで思ふ通りにやるのが神のやり方ぞ」が出来ないと書いてあります。直感的に思う事や、直感的に行動する事が、身魂が磨けていれば良い方向に向かうという事です。「考は人の迷ひざぞ」とも書いてあります。考えれば考えるほど、迷いが生まれ、心配事が増えてしまいます。心配とは「どうしよう、どうしよう、ドキドキ、ハラハラ」する事では無く、ただ心を配るだけで良い事なのだと、投稿者:加藤は思います。
今回の最後になりますが「この神示心で読みて呉れよ、九ェだして読みて呉れよ、病も直るぞ、草木もこの神示よみてやれば花咲くのざぞ。」の書き出し部分が少々解り辛いので、投稿者:加藤なりに解釈すると、日月神示はしっかりと胆に落として理解して呉れよ、そして日月神示を声に出して読んで呉れよ、そうすれば病氣も治り、その声を聞いた草木は花を咲かすぞ。と書いてあります。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。