第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第十一帖 (R6.12.24)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第十一帖です、お読み下さい。

第六巻 日月 (ひつ九) の巻

第十一帖 (一八四)

 学も神力ぞ。神ざぞ。学が人間の智恵と思ってゐると飛んでもない事になるぞ。肝腎の真中無くなりてゐると申してアロが。真中動いてはならんのざぞ。神国の政治は魂のまつりことぞ。苦しき御用が喜んで出来る様に成田ら、神の仕組判りかけるぞ。何事も喜んで致して呉れと申してあろがな。臣民の頭では見当取れん無茶な四 (よ) になる時来たのざぞ。それを闇の世と申すのぞ。神は • 臣民は〇、外国は〇、神の国は • と申してあろが、神国から見れば、まわりみな外国、外国から見れば神国真中。人の真ん中には神あらうがな。悪神の仕組は此の方には判りてゐるから一度に潰す事は易いなれど、それでは天の大神様にすまんなり、悪殺して終 (しま) ふのではなく、悪改心さして、五六七 (みろく) のうれしうれしの世にするのが神の願ひざから、この道理忘れるでないぞ。今の臣民幾ら立派な口きいても、文字ならべても、誠がないから力 (ちから) ないぞ。黙 (だま) ってゐても力ある人いよいよ世に出る時近づいたぞ。力は神から流れ来るのぞ。磨けた人から神がうつって今度の二度とない世界の、世直しの手柄立てさすぞ。みたま磨きが何より大切ぞ。十月の二十七日、ひつ九のか三。

* 引用文献に誤植がありましたので、修正して投稿しています。誤:外国から見れば神国最中、正:外国から見れば神国真中。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 148頁 より)

ひふみ神示〔新版〕 (Ten books) [ 岡本天明 ]

価格:8800円
(2024/12/23 11:43時点)
感想(12件)

 本帖は、読み手側の解釈が別れる文章だと投稿者:加藤は思いますので、深い解釈は避けたいと思います。日月神示では「神の御用」という言葉の中に「善の御用」と「悪の御用」があるように書かれていますが、日月神示の読み手である我々が注意しなければならないことは、神の視点で考えなければ読み解けないということです。ですので、便宜上「善の御用」とか「悪の御用」という言葉が出ては来るのですが、神のはたらきには「善悪の御用」しかなく、善と悪を分けられるものではないのだと投稿者:加藤は思います。

 「悪改心さして、五六七 (みろく) のうれしうれしの世にするのが神の願ひざから、この道理忘れるでないぞ」と書かれているところで注意したいことは、悪の御用も善の御用も一体と考えた場合、悪を改心させるとは、他人のことではなく、自分自身を改心させると受け止めなければならないということです。善を抱くことは容易ですが、悪を抱くことは抵抗を感じる人が多いでしょう。その抵抗感に本当の善は存在するでしょうか?神の視点で考えたら…

 「今の臣民幾ら立派な口きいても、文字ならべても、誠がないから力 (ちから) ないぞ」この文章は読んだままの解釈でよいと投稿者:加藤は考えますが、この文章の意味を考える前に、善悪を神の視点で考えることを優先させてから、この文章の意味を探っていただきたいと投稿者:加藤は願います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。