第五巻 地 (九二) つ巻 第二十一帖 (R6.11.12)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第五巻 地 (九二) つ巻 第二十一帖です、お読み下さい。
第五巻 地 (九二) つ巻
第二十一帖 (一五八)
神界のことは顕界ではなかなかに分るものでないと云ふこと分りたら、神界のこと分るのであるぞ。一に一足すと二となると云ふソロバンや物差しでは見当取れんのざぞ。今までの戦でも、神が陰から守ってゐること分るであらうがな、あんな者がこんな手柄立てたと申すことあらうが、臣民から阿房に見えても、素直な人には神がかり易いのであるから、早う素直に致して呉れよ。海のつなみ気をつけて呉れ、前に知らしてやるぞ。九月二十五日、ひつ九のか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 126頁 より)
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今回の帖は、解釈というか、説明が難しい内容です。「神界のことは顕界ではなかなかに分るものでないと云ふこと分りたら、神界のこと分るのであるぞ」が書き出しの文章で、日月神示ではお馴染みの逆説表現です。続いて「一に一足すと二となると云ふソロバンや物差しでは見当取れんのざぞ」と書かれています。投稿者:加藤が解釈や説明が難しいと感じるのは、解釈や説明をすることに、抵抗を感じるからです。皆さまからの、お叱りを覚悟で解釈や説明をするならば、神界から見れば、顕界=人間界は非常識だと書かれていると読むしかない文章です。一と一をたし合わせて二になるソロバン勘定もが非常識だといっています。
「あんな者がこんな手柄立てたと申すことあらうが、臣民から阿房に見えても、素直な人には神がかり易いのであるから、早う素直に致して呉れよ」と書かれています。あんな者=臣民から見て阿呆に見えても、神の手柄を立てさせられる。これも臣民の非常識な考え方では、神の常識は理解できない、という意味なのでしょう。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。