第五巻 地 (九二) つ巻 第十四帖 (R6.10.30)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第五巻 地 (九二) つ巻 第十四帖です、お読み下さい。

第五巻 地 (九二) つ巻

第十四帖 (一五一)

 この道分りた人から一柱でも早う出てまゐりて神の御用なされよ。どこに居りても御用はいくらでもあるのざぞ。神の御用と申して稲荷下げや狐つきの真似はさせんぞよ。この道はきびしき行 (みち) ざから楽な道なのぞ。上にも下 (しも) にも花さく世になるのざぞ、後悔は要らぬのざぞ。カミは見通しでないとカミ出ないぞ、今のカミは見通しどころか目ふさいでゐるで無いか。蛙 (かえる) いくら鳴いたとて夜あけんぞ。赤児になれよ、ごもく捨てよ、その日その時から顔まで変るのざぞ、神烈しく結構な世となりたぞ。九月二十三日、ひつくのか三。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 121頁 より)

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感想(12件)

 本帖の書き出し「この道分りた人から一柱でも早う出てまゐりて神の御用なされよ」が、今回の帖の全てを語っていると投稿者:加藤は思います。「この道はきびしき行 (みち) ざから楽な道なのぞ」と書かれています。この道とは、身魂磨きの道なので、厳しい道ですが、身魂磨きが進み、体主霊従から、霊主体従へ変われば、この道は、楽な道になると書かれているのです。ですので、早く身魂を磨き、神の御用に励めるようになりなさいといっているのだと投稿者:加藤は思います。

 「神の御用と申して稲荷下げや狐つきの真似はさせんぞよ」と書かれている部分は、注意を促している文章です。神の御用を勘違いすると、心霊現象などの方へ興味を持つ人間がいますが、そんなことでは、低級霊や動物霊に騙されますよと、注意を促している文章です。

 後半の文章ですが、大切な文章と思われるところは「赤児になれよ」の部分です。この部分は解釈が分かれる部分だと思いますので、この言葉の解釈は、個々に任せて、本投稿では投稿者:加藤がウンヌンと解釈することは避けようと思いますが「生まれ赤児」とは、一番神に近い存在ではないかと投稿者:加藤は考えています。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。