第五巻 地 (九二) つ巻 第五帖 (R6.10.15)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第五巻 地 (九二) つ巻 第五帖です、お読み下さい。

第五巻 地 (九二) つ巻

第五帖 (一四二)

 片輪車でトンテントンテン、骨折損の草臥儲けばかり、いつまでしてゐるのぞ、神にまつろへと申してあろうがな、臣民の智恵で何出来たか、早う改心せよ。三月三日、五月五日は結構な日ぞ。九月十六日、ひつ九のか三。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 115頁 より)

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感想(12件)

 本帖は短い文章です。当ブログをご愛顧くださる皆さまには、耳にタコだと思いますが、日月神示の短い文章の帖は難解です。

 先ず、引用文献ではルビが付けられていないので、一言付け加えると、書き出しの「片輪車」は「かたわぐるま」と読みます。過去の投稿でも書きましたが、現在は「かたわ」とは使用しない言葉となっています。投稿者:加藤には、その理由が一寸理解できないのですが…ここでいう「かたわぐるま」とは、陰と陽、プラスとマイナス、火と水、男性と女性、等々の分離を伝えていると投稿者:加藤は思います。「片輪車でトンテントンテン、骨折損の草臥儲けばかり、いつまでしてゐるのぞ」とは、我れ善しで、片輪車の状態を続けていては、トンテントンテンで、骨折損の草臥儲けとなるという意味です。では何故そうなるのか「臣民の智恵で何出来たか、早う改心せよ」ということですね。そして「神にまつろへと申してあろうがな」となる訳です。要約すると改心=身魂磨きをせよ、ということです。

 「三月三日、五月五日は結構な日ぞ」唐突に日付が出て来ていますが、この日付を理解するには、大本神諭を読み込んでいないと理解はできません。大本神諭の一部を引用して置きますが、日月神示的には、さほど気に止める必要はないと投稿者:加藤は思います。必要ない訳ではないのですが、日月神示を深く理解するためには、大本のことや、岡本天明のことなど、膨大な資料を読み込まなければなりません。それに費やす時間は、投稿者:加藤に任せて置いてください。「明治五十五年の三月三日と五月五日は誠に結構な日であるから…」と大本神諭にあります。明治は四十五年で終わっているので、明治五十五年は存在しない。ということになりますので、大正十一年を指した文章だと思います。大本では、この大正十一年頃を大峠の本番と考えていたのだと投稿者:加藤は思います。

 話は「かたわぐるま」に戻りますが、三月三日は女性のための節句で、五月五日は男性のための節句です。不完全な「片輪車」を完全な「両輪」にするためには、融合が必要なのだと投稿者:加藤は思います。昨日の投稿でも書きましたが、両親から預かった「身」と、神から預かった「魂」の融合。そのための身魂磨きなのだと投稿者:加藤は考えています。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。