第二巻 下 (四百) つ巻 第十四帖 (R6.5.27)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第二巻 下 (四百) つ巻 第十四帖になります。前回の帖に続き、長い文章です、読んで下さい。

第二巻 下 (四百) つ巻

第十四帖 (五六)

 臣民ばかりでないぞ、神神様にも知らせなならんから、なかなか大層と申すのぞ。一二三 (ひふみ) の仕組とは、永遠 (とは) に動かぬ道のことぞ、三四五 (みよいづ) の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ、神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。この神は世界中の神と臣民と、けだものも草木もかまはねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。神様と臣民同じ数 (かず) だけあるぞ。それぞれに神つけるから、早う身魂みがいて呉れよ、みがけただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告うけて呉れよ、この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。病も直してやるぞ、その神たよりたなら、身魂みがけただけの神徳あるぞ。この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。飛んだところに飛んだこと出来るぞ。それはみな神がさしてあるのざから、よく気つけて居れば、さきの事もよく分かるようになるぞ。元の神代に返すと申すのは喩へでないぞ。七から八から九から十から神烈しくなるぞ、臣民の思う通りにはなるまいがな、それは逆立してゐるからぞ。世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたやうに、もうかなはんと云ふところまでになるから、神はこの世に居らんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたやうに見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、いよいよとなりて来ねば分らん様では御用出来んぞ。七月の二十日、ひつ九のか三。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 46頁ー47頁 より)

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 今回の帖では日月神示、独特の言葉が多いので、言葉の意味を復習的に解説したいと思います。「一二三 (ひふみ) の仕組」「三四五 (みよいづ) の仕組」から行きましょう。これは「ミロクの世」までの三段階中の一段目と二段目を指している言葉です。一二三 → 三四五 → 五六七 (ミロク) へと進みます。

 「サニワでお告うけて呉れよ」の説明は、一応しますが、準備が出来ていない状態で、皆さまが何かを行う事を投稿者:加藤は推奨しません。サニワ (審神) とは、交霊の事であり、簡単に言うと、人間に霊などを憑依させる行為です。マァ、解りやすく云うと「コックリさん」です。身魂が磨けたら、人間側が「ワザワザ」降ろさなくても、勝手に指示が降りて来るものだと投稿者:加藤は思います。

 「元の神代に返すと申すのは喩へでないぞ。七から八から九から十から神烈しくなるぞ」の部分ですが、七から八から九から十からとは、一二三 → 三四五 → 五六七と同じで、進めば進む程に、逆立ち (前日の投稿R6.5.26を参照して下さい) していては、それぞれの御用が出来なくなると告ている言葉だと投稿者:加藤は考えます。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。