第八巻 磐戸の巻 第十五帖 (R5.12.5)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第八巻 磐戸の巻 第十五帖です。難しい内容では無いと思いますので、先ずは読んで下さい。
第八巻 磐戸の巻
第十五帖 (二五一)
この方の道、悪きと思ふなら、出て御座れ、よきかわるきか、はっきりと得心ゆくまで見せてやるぞ。何事も得心させねば、根本からの掃除は出来んのざぞ、役員気つけて呉れよ。皆和合して呉れよ。わるき言葉、息吹が此方一番邪魔になるぞ、苦労なしにはマコト判らんぞ、慾はいらぬぞ、慾出したら曇るぞ。めくらになるぞ、おわびすればゆるしてやるぞ、天地に御無礼ない臣民一人もないのざぞ。病治してやるぞ、神息吹つくりてやれよ、神いぶきとは一二三書いた紙、神前に供へてから分けてやるもののことざぞ。腹立つのは慢心からぞ、守護神よくなれば肉体よくなるぞ、善も悪も分らん世、闇の世と申すぞ。天照皇太神宮様の岩戸開きは、だました、間違ひの岩戸開きぞ、無理にあけた岩戸開き座から、開いた神々様に大きなメグリあるのざぞ、今度はメグリだけのことはせなならんぞ、神にはわけへだて無いのざぞ、今度の岩戸開きはちっとも間違ひない、まぢりけのない、マコトの神の息吹でひらくのざぞ。まぢりありたら、にごり少しでもありたら、またやり直しせなならんからくどうきつけてゐるのざぞ。何時迄もかわらんマコトでひらくのざぞ。一月十四日、旧十一月三十日、⦿の一二⦿。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 209頁ー210頁 より)
この帖は日月神示で良く示されている内容を、言葉を変えて示している所が多いですので、当ブログを御愛顧くださっている皆さまには、難しい内容では無いと思います。
過去に岩戸閉めの話は何度か投稿したと思います。近々では (R5.9.26) (R5.11.15) で触れています。今回の帖に「天照皇太神宮様の岩戸開きは、だました、間違ひの岩戸開きぞ、無理にあけた岩戸開き座から、開いた神々様に大きなメグリあるのざぞ、今度はメグリだけのことはせなならんぞ」と書かれています。記紀を読んだ事がある方は、投稿者:加藤の「岩戸閉め」の話に疑問をお持ちかと思います。特に天照大神様と素戔嗚尊様の話は疑問が大きいと思います。今回の帖に、天照大神様の岩戸開きがダマシの岩戸開きと書かれているので、今回の投稿では、一寸だけですが、天照大神様の岩戸開きの話を深掘りして見たいと思います。
先ず記紀に書かれている「天岩戸開き」の話の概略を見てみる事にしますが、概略の文章は投稿者:加藤の視点で書きますので、文章に嘘偽りは無いですが、少々一般的ではない視点になるかと思いますので、皆さまには、その視点での概略を理解してもらいたいと思います。
1) 素戔嗚尊は、高天原へ、旅立ちの挨拶に行っただけであるのに、姉の天照大神に有らぬ疑いを持たれた事が許せず、高天原で大暴れを繰り返してしまいます。
2) 素戔嗚尊のあまりにも激しい乱暴に、責任を感じた天照大神は天岩戸に籠ってしまう。天照大神が天岩戸に籠った事で、高天原も地上も闇に包まれてしまい、そのままでは世界が滅びる事になってしまう。
3) 困った神々は、思金神に相談し、祭り騒ぎを起こして天照大神を騙す事にする。偽の夜明けを告るトリを鳴かせて、太陽のような鏡を作り、天宇受売には、裸踊りをさせ、偽物の夜明けの祭りを大々的に行った。
4) 大騒ぎを何事かと思った天照大神は、岩戸の隙間から「天宇受売、何をはしゃいでいる」と問いかけると、天宇受売は「貴女様よりもっと尊い神様がお出になった事が嬉しくて」と答え、此処にと天照大神の前に太陽のような鏡を出した。その鏡に映る者をよく見ようと、天照大神が少し前に出た時に、手力雄が強引に天照大神を天岩戸から引きづり出し、しかも二度と岩戸の中に入れぬ様に結界を張ってしまう。この事が原因で、偽には偽で返した偽の天照大神は高天原に出てきたが、本物の天照大神は、手力雄がひいた結界により、天岩戸から未だに出れないでいる。
此処までが、記紀の岩戸開きの概要ですが、どうでしょうか。投稿者:加藤があえてその様に書いていますが、嘘と暴力以外の何者でも無い物語ですよね。大義があれば、嘘も暴力もあって良いなどと言う事はマコトの義に反します。今回のお題の帖に書かれている事は、この騙しや暴力を使った神々様にも、大きなカルマが回って来るとも書かれています「だました、間違ひの岩戸開きぞ、無理にあけた岩戸開き座から、開いた神々様に大きなメグリあるのざぞ、今度はメグリだけのことはせなならんぞ」と、いう事です。神様にもカルマが降って来るのですね、恐い事です、真面目に生きなければなりません。
今回の帖の最後に「天地に御無礼ない臣民一人もないのざぞ」と書かれています。読んで、そのまんまだと投稿者:加藤は思います。やはり最後には身魂磨きなんでしょう。身魂の掃除、洗濯が正しく出来ていれば、真面目に生きていられると思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。