第八巻 磐戸の巻 第四帖 (R5.9.26)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。本日のお題は、日月神示の第八巻 磐戸の巻 第四帖です。さほど難解な帖では無いと思いますし、短い帖なので読んじゃってみて下さい。
第八巻 磐戸の巻
第四帖 (二四〇)
この方この世のあく神とも現はれるぞ、闇魔とも現はれるぞ、アクと申しても臣民の申す悪ではないぞ、善も悪も無いのざぞ、裁判の時来てゐるにキづかぬか、其日其時さばかれてゐるのざぞ、早う洗濯せよ、掃除せよ、磐戸いつでもあくのざぞ、善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ。悪と善とたてわけて、どちらも生かすのざぞ、生かすとは神のイキに合すことぞ、イキに合へば悪は悪でないのざぞ。この道理よく肚に入れて、神の心早うくみとれよ、それが洗濯ざぞ。一月二日、⦿のひつ九か三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 199頁 より)
今回ここでは詳しく述べませんが、日月神示は本巻 (日月神示上巻) 二十三巻、本巻 (日月神示下巻) 七巻、日月神示五十黙示録七巻、日月神示五十黙示録 (補巻) 一巻、日月神示補巻一巻までが世に出ていて、未だ「時期が来るまで世に出してはならぬ」とされている物も存在しています。現在、投稿者:加藤は全力で上巻を当ブログで発信していますが、今回では帖の全文を書きませんが、五十黙示録の内容にも触れるので、サックりと日月神示の全容を説明させて貰いました。
今回の帖に「磐戸いつでもあくのざぞ」と書かれています。日月神示には岩戸の話はよく出てきますので、今回は日月神示で云う磐戸とは何なのかを説明して置きたいと思います。皆さまが岩戸と聞くと、古事記 (ふることふみ) の「天岩戸隠れ」を思い浮べると思います。ですが日月神示では、現在までに五度の「岩戸閉め」があったとしています。日月神示 五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第十帖を要約して置きます。一度目は、伊邪那岐命と伊邪那美命の時で、これも古事記に記されているので、御存知の方もいらっしゃるでしょう。伊邪那岐命が伊邪那美命を黄泉国へ残し岩で封じた話ですね。二度目は、天岩戸隠れで有名な、天照大神の時です、有名な話なので、説明は必要無いと思います。三度目は、素盞鳴命に総ての罪をきせて、ネの国に追いやった時、これも古事記で書かれていますが、一寸違うんじゃ無いの?と思うかも知れませんが、後に説明する天照大神の話と合わせて、皆さまが考えてみて下さい。四度目は、神武天皇が御自ら人皇を名乗り給うより他に道なき迄の御働きをなされた時、要するに神武天皇が、神の世から人の世に移って来られたと云う事ですね。五度目は、仏教伝来の時で、わずかながらもマコトの神道の光が射していたのですが、仏教と共に仏魔がわたって来て完全に岩戸が閉められてしまい、暗闇の世になり、その後は乱れほうだい、やりほうだいの世になったと云う事です、これが投稿者:加藤の日月神示 五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第十帖に書かれた五度の岩戸閉め解釈となります。
如何でしたか?チョット普通じゃ聞いた事が無い話だったと思いますが、最後にもう一ッ。日月神示では天岩戸は未だ開いていないです。天鈿女命 (アマノウズメ) 等の神々に、騙されて岩戸から出てきた神は騙した神なので、日月神示では天照大神は未だ磐戸の中だと云ってます。騙された神が、岩戸から出て来て素盞鳴命を高天原から追放って、チョット考えちゃいますよね。でも日月神示で云う「一度に磐戸開く時」になれば、全てスッキリ解決なんでしょう。投稿者:加藤はそう願います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。