第十三巻 アメの巻 第九帖 (R7.9.30)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一三巻 アメの巻 第九帖です、お読み下さい。
第十三巻 アメの巻
第九帖 (三四三)
神の智と学の智とは始は紙一重であるが先に行く程ウンプ出来て来て天地の差となるぞ、⦿の神の薬のやり方悪の神の毒のやり方となるぞ、神の御用が人の御用ぞ、人の御用が神の御用であるなれど、今の臣民神の御用するのと人の御用するのと二つに分けてゐるが、見苦しき者にはこれからは御用致させん事にきまりたから気付けておくぞ、何事も順正しくやりて下されよ、神は順であるぞ、順乱れた所には神の能現 (はたらき) はれんぞ。何もせんでゐて、よき事許り待ちてゐると物事後戻りになるぞ、神の道には後戻りないと申してあろがな、心得なされよ、一 (ハジメ) の火消へてゐるでないか、まだ判らんか、都会へ都会へと人間の作った火に集る蛾 (が) の様な心では今度の御用出来はせんぞ、表面 (うわつら) 飾りてまことのない教への所へは人集るなれど、誠の道伝へる所へは臣民なかなか集らんぞ、見て御座れよ、幾ら人少なくても見事なこと致して御目にかけるぞ、縁ある者は一時に神が引寄せるとしてあろがな、人間心で心配して呉れるなよ。目眩 (まひ) する人も出来るぞ、ふんのびる人も沢山に出来て来るぞ。行けども行けども白骨許りと申してあろがな、今のどさくさにまぎれて悪魔はまだえらい仕組致して上にあがるなれど、上にあがりきらん内にぐれんぞ、せめて三日天下が取れたら見物であるなれど、こうなることは世の元から判ってゐるからもう無茶な事は許さんぞ。軽い者程上に上にと上って来るぞ、仕組通りなってゐるのざから臣民心配するでないぞ。今度神の帳面から除かれたら永遠に世に出る事出来んのであるから、近慾に目くれて折角のお恵みはづすでないぞ、神キつけておくぞ。人の苦しみ見てそれ見た事かと申す様な守護神に使はれてゐると気の毒出来るぞ、世建替へて先の判る世と致すのぢゃぞ、三エスの神宝 (かんだから) と、3S (スリーエス) の神宝とあるぞ、毒と薬でうらはらであるぞ。五と五では力出んぞ、四と六、六と四、三と七、七と三でないと力生れんぞ、力生れるから、カス出来るのざから掃除するのが神の大切な仕事ぞ、人民もカスの掃除する事大切な御役であるぞ、毒と薬と薬と毒で御座るぞ、搗 (つ) きまぜてこねまぜて天晴 (あつぱれ) 此の世の宝と致す仕組ざぞ、判りたか。一方の3Sより判らんから人民何時も悪に落ち込むのぢゃ、此の道は中行く道と申して知らしてあろがな、力余ってならず力足んでならず、しかと手握りてじっと待ってゐて下されよ、誠の教ばかりでは何もならんぞ、皆に誠の行 (オコナイ) 出来んと此の道開けんぞ、理屈申すでないぞ、幾ら理屈立派であっても行 (オコナイ) 出来ねば悪であるぞ、此の世の事は人民の心次第ぞ。十一月二十七日、ひつくのか三。
* 引用文献に脱字がありましたので、修正して投稿しています。誤:先に行く程ンプ出来て 正:先に行く程ウンプ出来て。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 295頁−297頁 より)
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価格:8800円 |
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今回も投稿者:加藤の解釈ではなく、本帖の大切と思はれる部分を、現代語にしておきたいと思います。
初めの神の智と学の智に差はないが、先へ行く程に結果には大きな差が出てくるのざぞ。神の智から来る薬は、悪に染まった学の智にとって毒だぞ。次の時代を照らす火が消えているぞ、火に群がる蛾のように、都会に群がっている場合ではないのざぞ。利益や効率ばかりを追い求めているから、人の心も身も削がれ白骨だらけの世の中。しかも軽い者ほど欲に目が眩み、上に這い上がってくる。いくら立派なことを語っても、それで世の中を良く出来ないのであれば悪だぞ。この世の現れは、全てが人民の心しだいなのざぞ。
ってな感じですかねぇ〜
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。