第十三巻 アメの巻 第七帖 (R7.9.16)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一三巻 アメの巻 第七帖です、お読み下さい。
第十三巻 アメの巻
第七帖 (三四一)
神の心の判りた臣民から助ける御用にかかりて呉れよ、助ける御用とは清めの御用で御座るぞ、天地よく見て悟りて呉れよ。三四五 (みよいづ) の御用は出来上りてしまはんと御用してゐる臣民にはさっぱり判らんのであるぞ、つかわれてゐるから判らんのであるぞ、出来上りてからこれは何んとした結構な事でありたかとビックリするのざぞ。アメのひつ九のか三とはアメの一二の神で御座るぞ、アメの *記号1 ⦿ (つきひ) の神で御座るぞ、元神で御座るぞ、ムの神ぞ、ウの神ぞ、元のままの肉体持ちて御座る御神様ぞ、つちのひつ九のおん神様ぞ、つちの ⦿ *記号1 (ひつき) の御神様と今度は御一体となりなされて今度の仕組見事成就なされるので御座るぞ、判りたか、九二つちの神大切申せとくどう知らしてあろがな、今迄の臣民人民、九二の御先祖の神疎かにしてゐるぞと申して知らして洗う、神は千に返るぞ、九二つちつくること何んなに難儀せなならんのざぞ。それでよう堪 (こば) れん臣民沢山にあるのざぞ、元の神の思ひの何万分の一かの思ひせんならんのざぞ、今度世変りたら臣民此の世の神となるのざぞ。国の洗濯はまだまだ楽であるがミタマの洗濯仲々に難しいぞ、人民可哀想なから延ばしに延ばして御座るのざぞ、幾ら言ひ聞かしても後戻り許りぢゃ、言ひ聞かして改心出来ねば改心する様致すよりもう手ない様になってゐるのざ。何時どんな事あっても神は知らんぞ、上から下までも誰によらん今迄の様な我儘させんぞ、役員馬鹿にならなならんぞ、大のつく阿呆になれよ、*記号2 のつく阿呆にあやまって呉れるなよ、阿呆でないと今度の誠の御用なかなかざぞ。命捨てて命に生る時と申してあるがな、非常の利巧な臣民人民アフンで御座るぞ、今にキリキリ舞するのが目に見へんのか。何時も変らぬ松心でおれと申して御座ろがな、建替へ致したら世界は一たん寂しくなるぞ、神が物申して居る内に改心せなならんぞ、後悔間に合はんと申してあろがな。十一月二十三日、ひつ九のかミ。
*記号1 新月から三日後の形をした三日月
*記号2 漢字の大の字を、天地逆にした形 (字)
(太陽出版 新版 ひふみ神示 292頁−293頁 より)
価格:8800円 |
今回も投稿者:加藤の解釈ではなく、本帖の大切と思はれる部分を、現代語にしておきたいと思います。
国の洗濯は楽だが、臣民人民の身魂の洗濯はなかなか厳しいぞ。このままでは人民が可哀想なので、大洗濯 (大峠) の時期を延ばしに延ばしているのだぞ。役員は大のつく阿呆になって御用に励んでくだされよ。しかし、道理の通じぬ大馬鹿には絶対に頭を下げてはならんのだぞ。小賢い臣民人民は、後になって痛い目に遭うぞ、後悔しても間に合わんのだぞ。
ってな感じですかねぇ〜
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。