五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第六帖 (R7.9.9)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第六帖です、お読み下さい。

五十黙示録 第一巻

扶桑之巻 第六帖

 はらひため千城百国精治万歳。三年と半年、半年と三年であるぞ、その間はクラヤミ時代、火をともしてもくらいのであるぞ、あかるい人民にはヤミでも明るい、日は三日と半日、半日と三日、次に五年と五年ぢや、五日と五日ぢや、このこと間違へるでないぞ。手足の爪まで抜きとられ、あるにあられん、むごいことにされて追ひやられたのであるが、マコトはマコトぢや、時めぐりきて、我 (が) がとれたので、光がさしそめたのぢや、岩戸がひらけたのぢや。神が苦しむ時は人民が苦しみ、人民苦しむ時は神も苦しむのぞ。世界中の苦しみ、地上の苦しみ、天上の苦しみぞ、この大峠を越してから大いなるタメシがあるぞ、人の心のむつかしさ計り知れん程であるなれど、見て御座れ、見事なこと致して見せるぞ。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 756頁ー757頁 より)

ひふみ神示/岡本天明【3000円以上送料無料】

価格:8800円
(2025/9/8 08:35時点)
感想(0件)

 本帖は、超という字を何個並べても足りないほどに、難解な帖だと投稿者:加藤は思います。難解と表現するしかないのですが「悩む」と表現してもよいかもしれません。本帖に書かれている数字の意味が、あまりにも色々な角度から解釈できてしまうからです。皆さまも色々と調べたり、文献を読んだりして考えて見てください。冒頭の文は、本巻の今までの帖と同じで、五七七の律による片歌で始まっている文章となっているのですが、本帖の片歌は、今までのものとは毛色が違うようです。神職の方でも解らない方が多いと思います。何故ならば一般の祝詞などには使用しない文言だからです。「千城百国精治万歳」を調べてみると、どうも呪文として読まれたもののようです。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。