大東亜戦争終結ノ詔書 探求 #3 (R7.8.19)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は「大東亜戦争終結ノ詔書 探求」の第三回目となります。前々回の投稿で「大東亜戦争終結ノ詔書」の原文を読んでもらい、前回の投稿で「大東亜戦争終結ノ詔書」の現代語訳を読んでもらいました。現代語の文中で「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び… 」という部分が出てきましたが、この言葉を一度は聞いたことがあると思います。しかしこの言葉が「大東亜戦争終結ノ詔書」という文章の一部で、昭和二十年八月十五日に、ラジオから昭和天皇の言葉で放送された「玉音放送」といはれる放送内容だと知る人は少ないのかも知れません。まして「大東亜戦争終結ノ詔書」の全文や全内容を知る人はもっと少ないのでしょう。投稿者:加藤は日本史の教科書に、前々回、前回の投稿のように、原文と現代語訳の全文を入れるべきだと思いますが、現在の日本の教科書には入らないでしょう… 何故、日本の教科書には「大東亜戦争」という言葉が消え、「太平洋戦争」という欧米に都合のよい戦争名となっているのかも「大東亜戦争終結ノ詔書」を読み、内容を理解すると解ってきます。戦争名まで変えさせる GHQ の悪行ですから、「大東亜戦争終結ノ詔書」の全文を教科書に入れるなど、自分達に都合が悪い以外のナニモノでもありません。
それでは前回の投稿に掲載した現代語訳の内容を探求していきたいと思います。「私は政府に対し、アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に、四国共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させた」の部分ですが、アメリカ、イギリスの民主主義国家と、中国、ソ連の共産主義国家が手を組んでいるところに気持ち悪さを感じますが、中国に関しては少々書き添えなければならないと投稿者:加藤は思います。この時の中国は蒋介石率いる中国国民党です。日本では蒋介石が「良い人」と学ぶこともありますが、大嘘です。大東亜戦争終戦で、疲弊している蒋介石率いる中国国民党軍は、かねてから対立していた毛沢東率いる中国共産党軍に国内で攻め立てられ台湾に逃げることになります。「大東亜戦争終結ノ詔書」にも書かれていますが、西洋強国の植民地化していた亜細亜を救済することが目的の大東亜戦争ですが、なぜアジアの中の中国が、西洋と手を組んでいるのか?そしてその後に中国国民党は台湾を支配する流れになります。この話を書き出すと「大東亜戦争終結ノ詔書」の探求から外れていきますので、機会があれば、蒋介石の大盗賊的な人間性をアバク投稿をするかも知れません。
「そもそもわが国民が健やかに、安らかに生活できるよう心がけ、世界の国々とともに栄えその喜びを共有することは、歴代天皇が手本として残してきた教えで、私も常に念じてきたところでもある。したがって、さきに、アメリカとイギリスの二国に宣戦布告した理由もまた実に、わが国の自存とアジアの安定を心から願ったためであって、他国の主権を押し除けたり、領土を侵したりするようなことは、もちろん私の意志とは異なる」この文章もオブラートに包んだような書き方ですが、日本国は侵略戦争などは起こして無く、アジアの安定を願った戦争だったと書かれています。大東亜戦争が勃発する前の、亜細亜諸国が西洋強国からどのような扱いを受けていたかは、ご存知の方もいるかも知れませんが、最近は歴史が書き直されて、なんだか全部日本が悪いような話になっているので投稿者:加藤は困惑してしまいます。話を戻します。この文章中で大切な内容の二ッ目は、他国の主権を押し除けたり、領土を侵したりするような意思は元々日本国には無い。と書かれています、要するに西洋強国から植民地化された国々を解放し、大亜細亜を構成することを目的としているという意味です。GHQ の政策もあり、日本ではあまり教えないし、報道もしないのですが、西洋から植民地支配を受けていた亜細亜の国々が、今でも親日国家である理由はここにあります。日本国内の教育や、報道機関を含め、狂ったファンタジー世界に酔っている迷惑な国が、日本の隣国には何カ国かありますが… その様な迷惑な国が、他の国へ行き、間違った (自分達に都合の良いファンタジー世界の歴史) 歴史を吹聴していることが大きな問題だと思いますが、歴史を塗り替えることは決して出来ないので、間違った歴史観を持つことは、最終的に自分自身が恥をかくことになることでしょう。
「敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、多くの罪なき人々を殺傷し、惨害がどこまで広がるかはかり知れない。なおも戦争を続けるなら、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも打ち壊すことになるであろう。そのような事態になれば、私はどうして我が子のような国民を保護し、歴代天皇のみたまにお詫びできようか。これこそ、私が政府に対し、ポツダム宣言に応じるようにさせた理由である」とあります。昭和天皇の心を投稿者:加藤なりに考えると、せっかく沢山の若者達が、命を代償にしてまで、亜細亜の国々を、西洋強国からの植民地支配から救い独立させたのに、その救った国々にまで「原爆」を投下されたのでは、元も子もないし、歴代天皇家の目的から大きく道が外れるし、最終的には人類全体の文明まで灰に返す自体になりかねないので、日本国が責任をとってポツダム宣言を受諾するという意味で、後に書かれている「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という言葉につながって行くのだと投稿者:加藤は思います。この「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という言葉は、昭和天皇の気持ちでもあり、天皇が思うのだから、臣民の皆さんも「耐え忍んでください」ということだと投稿者:加藤は思います。ただし、この「大東亜戦争終結ノ詔書」の文章の中に、大日本帝国が大東亜戦争に敗戦したとは「一言」も書かれていません。ですので投稿者:加藤も先の大戦で日本は負けていないと、よく発言するのです。西洋強国に支配されていた、亜細亜の国々を独立に導き、この戦争の目的の八割は終わっているのです。西洋の国々にしてみれば、自国が支配していた亜細亜の国々を独立させた、日本憎しで「原爆投下」です。ここに蒋介石のような泥棒が、何故西洋に協力していたのかは、別の機会があれば投稿します。
「私は今ここに、国体(天皇を中心とする秩序)を護持し得て、忠良な国民の真心を信じ、常に国民とともにある。もし激情にかられて、みだりに問題を起こしたり、同胞が互いに相手をけなし、おとしいれたりして時局を混乱させ、そのために人間の行うべき大道を誤って世界から信義を失うようなことがあれば、それは私が最も戒めたいことだ」と書かれています。本来の天皇陛下の務めは「祈り」です。この天皇陛下の「祈り」と臣民の「祈り」が合わされて、「集合的な祈り」となり、それが具現化します。今風のカルイ言葉でいうならば「引き寄せ」です。この文章には、その「祈り」も含め、昭和天皇の思いも書かれていると投稿者:加藤は思います。同胞が怒りにまかせて、混乱を起こさないでもらいたいと、ハッキリと書かれています。そして日本人として、新たな大道を世界に示してもらいたいとも… 我々日本人は、今年の八十年という節目だけではなく、先の大戦があって、今の社会があることを、決して決して忘れてはならないと、強く強く強く思います。
最後に、皆様にお願いがあります。年に一度のことですので、投稿者:加藤の願いを聞いてもらえると幸に思います。毎年の八月十五日には、直接出向くことが無理だったとしても、皇居に向かい十秒でもよいので、手を合わせてください、その後に靖国神社に向かい十秒でもよいので、手を合わせてください、そして大東亜戦争があった事実を忘れないように、そしてこれからの日本国や、我々臣民が、どのように行動していけばよいのかを考え「大東亜戦争終結ノ詔書」の内容を思い出してください。投稿者:加藤からの御願いです。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。