第十二巻 夜明 (四あ) けの巻 第一帖 (R7.7.7)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一二巻 夜明 (四あ) けの巻 第一帖です、お読み下さい。
第一ニ巻 夜明 (四あ) けの巻
第一帖 (三二一)
イシはイにかへるぞ。一 (ヒ) であるぞ。_ (ム) であるぞ。井であるぞ。イーであるぞ。*記号1であるぞ。*記号2であるぞ。キと働くのざぞ、わかりたか。今までは悪の世でありたから。己殺して他人助けることは、此の上もない天の一番の教といたしてゐたが、それは悪の天の教であるぞ。己を活かし他人 (ひと) も活かすのが天の道ざぞ、神の御心ぞ。他人殺して己助かるも悪ぞ、己殺して他人助けるも悪ぞ、神無きものにして人民生きるも悪ぞ。神ばかり大切にして人民放っておくのも悪ぞ。神人ともにと申してあろが。神は人に依り神となり、人は神によって人となるのざぞ。まことの神のおん心わかりたか。今までの教へ間違っていること段々判りて来るであろがな。天地和合して*記号3となった姿が神の姿ざぞ。御心 (みこころ) ざぞ。天 (あめ) と地 (つち) ではないぞ。あめつちざぞ。あめつちの時と知らしてあろが、みな取違ひ申して済むまいが。神示よく読めと、裏の裏まで読めと申してあろが、七月の二十一日、あめのひつぐのかみ。
* 記号 1 は、〇の中に井。
* 記号 2 は、〇の中にイ。
* 記号 3 は、〇の中に • と、外側〇の十二時、一時三十分、三時、四時三十分、六時、七時三十分、九時、十時三十分の方角に、〇の外に向けて短い線が出ている。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 271頁 より)
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価格:8800円 |
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今回の投稿から、日月神示の基本十二巻 (第一部) の最終巻に突入します。読んでいただければ判ると思いますが「イシはイにかへるぞ。一 (ヒ) であるぞ。 (ム) であるぞ。井であるぞ。イーであるぞ。 *記号1であぞ。*記号2であるぞ。キと働くのざぞ、わかりたか」の書き出しに関しては、正直に言って投稿者:加藤はお手上げです。ここまでの日月神示の内容を元に、強引な解釈は可能かと思いますが、その解釈をインターネット上で発表するのは気が引けます。ただ一ッだけいえることは、本帖が日月神示の前半 (基本十二巻) の最終巻ですので、この巻に降ろされた帖は、基本的に「大元」の「キ」に繋がる内容だということだと投稿者:加藤は思います。
「今までは悪の世でありたから。己殺して他人助けることは、此の上もない天の一番の教といたしてゐたが、それは悪の天の教であるぞ。己を活かし他人 (ひと) も活かすのが天の道ざぞ、神の御心ぞ。他人殺して己助かるも悪ぞ、己殺して他人助けるも悪ぞ、神無きものにして人民生きるも悪ぞ。神ばかり大切にして人民放っておくのも悪ぞ。神人ともにと申してあろが。神は人に依り神となり、人は神によって人となるのざぞ。まことの神のおん心わかりたか。今までの教へ間違っていること段々判りて来るであろがな」この部分は「悪の教え」に付いて書かれた文章で、日本語としても難しい文章ではないと投稿者:加藤は思います。長々と書いてありますが (長々と説明しないと理解しない魂が多いのでしょうが… )一言で片付けるならば「全てを活かす道」が神の道であり、「自他共に・神人共に」の道を行けということだと投稿者:加藤は思います。
「天 (あめ) と地 (つち) ではないぞ。あめつちざぞ」の部分は、少々「?」な言葉だと感じると思います。日月神示の基本十二巻から第二部 (後半十一巻) に進んでいくと見えて来るので、ここでは詳しく説明することはしませんが「天地」を一枚の紙の「裏表」と読み替えてみて下さい。同じモノに「善悪」があるという意味にも取れると投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。