第一一巻 松の巻 第二十八帖 (R7.7.2)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一一巻 松の巻 第二十八帖です、お読み下さい。
第一一巻 松の巻
第二十八帖 (三一九)
保食 (うけもち) の神祀らづに、いくら野山拓いたとて、物作ることは出来ないぞ。煎 (ゐ) り豆花咲く目出度い時となってゐるのに何して御座るのぞ。いくら人民の尻叩いて野山切り拓いても食物三分六つかしいぞ。神々まつれと申してあろが、野拓く時は野の神まつれ。物作る時は保食の神まつれ。産土の神様にもお願ひしてお取次願はな何事も成就せんぞ。人民の学や智ばかりで何が出来たか。早よ改心第一ぞ。山も川も野も人民も草も木も動物虫けらも何もかも此の方の徳であるぞ。それぞれの御役あるのざぞ。学や智捨てて天にむかへ。地にむかへ、草にむかへ、生物にむかへ、木にむかへ、石もの云ふぞ。草もの云ふぞ。七月十八日、あめのひつくのかみ。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 267頁ー268頁 より)
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価格:8800円 |
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本帖の鍵は、人間が神を忘れて「金儲け」に背走していることを厳しく厳しく厳しく戒めている内容になると投稿者:加藤は思います。
「煎 (ゐ) り豆花咲く目出度い時となってゐるのに何して御座るのぞ」の「煎った豆に花が咲く」の部分ですが、当ブログで、何度となく触れた話題ですが、重要な話なので、もう一度記載します。先ず神々のピラミッド型の上下関係?の説明をすると、ピラミッドの頂点から上中下の三段階に別れていて、一番上に造化三神があり、その初めの神である「天之御中主神 (アメノミナカヌシ) =あめのひつくのかみ」があり、中段に神世七代の神があり、その初めの神である「国常立尊」があり、最下層に八百万の神々があります。このピラミッド型の説明は、我々人間が解りやすいように投稿者:加藤が書いたもので、本来はそんなに簡単な棲み分けではないことは理解しておいて下さい。さて話を戻して「煎った豆に花が咲く」の部分ですが、国常立尊があまりにも厳しい神だったため、八百万の神々の中で、堕落した神々が疎ましく思い、東北 (艮) の方向へ封じ込め、煎った豆に花が咲くまで出てくるな、と封印したのです。余談ですが、国常立尊を封印する前に、国常立尊の爪を剥ぎ、体を切り刻み、内臓を鍋に入れて祝いの証として食した鍋物を「臓煮 (ぞうに) 」といい、我々が正月の祝いに食する「雑煮」となりますので、投稿者:加藤の家では正月の煮物は「餅入り残飯鍋」と呼んでいますし、節分の豆まきも「鬼は内、福も内」と声を出し、豆まきを子供達と行なっていました、子供達は学校で教わる豆まきと掛け声が違うことに、親の悪ふざけと思い喜んでいましたが、今ではしっかりと意味を理解してくれています、親としては「感謝」の気持ちしかありません。
さて本帖の解釈に戻ります「産土の神様にもお願ひしてお取次願はな何事も成就せんぞ」の部分です。日月神示では「産土の神」を非常に大切に扱っています。「産土の神」の解釈は色々とあるのですが、何を行うにしても「土・土地」ですので、日本の国祖様=国常立尊の身体 (からだ) が「土・土地」=「分身・分霊」ですので、基本中の基本であるわけですから当然といえば当然なのだと投稿者:加藤は思います。「人民の学や智ばかりで何が出来たか。早よ改心第一ぞ」の部分などは、全く「産土の神」を忘れ、目先の利益追求に背走した結果のことを述べています。生産性 (食品の) を上げるために、化学肥料を大量に土に埋め込み、害虫を駆除するために、大量の農薬を散布することにより、地中に住む有用な微生物までも殺傷してしまえば、その土地は結局のところ枯れてしまうのです。ですので「学や智捨てて天にむかへ。地にむかへ、草にむかへ、生物にむかへ、木にむかへ」という教えに行き着くのだと投稿者:加藤は思います。これは農業だけに当てはまる話ではなく、どのような職業でも「生産性」だけを追求することは、生産性という言葉に変えた「金儲け」になります。銭、銭、銭と言うことが、賤しく感じるので「生産性を上げる」というオブラートに包んだ言い回しを使用するのは「賤しい人間の証」なのだと投稿者:加藤は感じます。言霊的にも、単語を変えれば、よい響になるなどはアリエナイと思います。「神々たちは、マルっと御見通しだ!」(笑) ということではないでしょうか?
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。