第一一巻 松の巻 第二十一帖 (R7.6.22)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一一巻 松の巻 第二十一帖です、お読み下さい。

第一一巻 松の巻

第二十一帖 (三一二)

 旧九月八日からの祝詞は初めに、ひとふたみ唱え、終りに百千 (ももち) 卍宣 (よろずの) れよ。お神山 (やま) 作る時は、何方 (どちら) からでも拝 (おが) める様にしておけよ。一方から拝むだけの宮は我れよしの宮ぞ。何もかも変へて仕舞ふと申してあろうが。神徳貰 (もら) へば何事も判りて来るのざぞ。要らんもの灰にするのざぞ。息乱れん様にせよ。七月七日、アメのひつくのかみ。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 264頁 より)

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 本帖の書き出し「旧九月八日からの祝詞は初めに、ひとふたみ唱え、終りに百千 (ももち) 卍宣 (よろずの) れよ」ですが、先ず旧九月八日が、非常に大切な日であることは、ここまで日月神示を読んできた皆さまには理解できると思います。「ひとふたみ唱え、終りに百千 (ももち) 卍宣 (よろずの) れよ」の部分ですが、これは岡本天明達 (我々臣民にも) に祝詞奏上の方法を、一部改め (奥義に近づく) ための指示です。具体的には「一二三四五六七八九十百千卍 (ひとふたみよいつむななやここのたりももちよろず) 注:六 (む) は「むゆ」と発音してもよい。この祝詞は一般的に「天地 (あめつち) の数歌 (かずうた) 」といわれています。卍 (よろず) は万 (よろず) と同義で、数霊 (数字) が「一」から始まり「卍 (無限) 」まで拡大していくことを表しています。

 さて、今回の帖の解釈はこの書き出し部分だけとして、日月神示に記されている神からの「預言 (予言ではありません) 」というか、神の仕組がいかに緻密なものかが垣間見れる帖となりますので、説明させてもらいます。マァ、神などは信じないという方は、後付けの話でしょう?というかもしれませんが… まず本帖の「要らんもの灰にするのざぞ」です。次に日月神示 第一巻 上つ巻 第一帖に「世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか」と書かれていたところです。本帖が降ろされた日付の前日の夜 (七月六日) から、本帖が降ろされた当日 (七月七日) 未明にかけて甲府市に対して、米軍機の大空襲 (甲府大空襲) がありました。市街地の七割以上が焼失した空襲です。そして神から指定された日の、カイの御用 (奥山開き) が行われたのが大空襲の五日後で、焼く尽くされ瓦礫と化した市街地の中でのことです。これは偶然に、大空襲が神業の前に起こったのではなく、大空襲も神の仕組だったと考えられると投稿者:加藤は思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。