第九巻 キの巻 第七帖 (R7.4.2)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第九巻 キの巻 第七帖です、お読み下さい。

第九巻 キの巻

第七帖 (二六四)

 物、自分のものと思ふは天の賊ぞ、皆てんし様の物ざと、クドウ申してあるのにまだ判らんか。行出来て口静かにして貰ふと、何事もスラリとゆくぞ、行 (ぎよう) が出来ておらんと何かの事が遅 (おくれ) るのざぞ、遅るだけ苦しむのざぞ。神の国の半分の所にはイヤな事あるぞ、洗濯出来た臣民に元の神がうつりて、サア今ぢゃと云ふとこに、なりたら、臣民の知らん働きさして悪では出来ん手柄さして、なした結構な事からビックリ箱あくのざぞ。天と地との親の大神様のミコトでする事ぞ、いくら悪神じたばたしたとて手も出せんぞ、この世三角にしようと四角にしようと元のこの方等の心のままぞ。後から来た守護神先になるから今の役員さうならん様に神示で知らしてあるのざから、よく裏の裏まで読んで肚に入れて、何一つ分らん事のない様にして呉れよ、今に恥 (はづ) かしい事になるぞ。元の大和魂の誠の身魂 (みたま) 揃ふたら、人は沢山なくてもこの仕組成就するのざと申してあろが、末代動かぬ世の元の礎きづくのざから、キマリつけるのざから、気つけておくぞ。キが元と申してあろがな、上は上の行、中は中、下は下の行日、作法あるのざぞ、マゼコゼにしてはならんぞ、この中からキチリキチリと礼儀正しくせよ。三月十一日、ひつ九の神。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 224頁ー225頁 より)

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 本帖は、さほど長い文章の帖ではないのですが、なかなかに色々な事が盛り込まれている文章だと投稿者:加藤は感じています。全てを解釈していくと、説明文が非常に長くなりますので、投稿者:加藤が重要と思う部分を説明していきたいと思います。

 「物、自分のものと思ふは天の賊ぞ」ですが、過去の投稿で触れた内容だと記憶しています、この世に自分の物というものは存在しませんという内容です。我々には「所有」という概念が沁 (し) み付いています、誰かが勝手に都合よく決めた法律でも「所有権」という自分勝手な「権利」を定めています。確かに現状の「我れ善し」の人間が多い中では「自分のもの」と「他人のもの」と「公のもの」を区別しなければならず、それを明確にする法律も必要なのでしょうが、本来はそんな法律で縛り付けなくてもよい世でなければならないのだと投稿者:加藤は思います。「行出来て口静かにして貰ふと、何事もスラリとゆくぞ、行 (ぎよう) が出来ておらんと何かの事が遅 (おくれ) るのざぞ、遅るだけ苦しむのざぞ」の部分も、過去の投稿で触れたと記憶しています。神のマコトとは「口、心、行」であると書いたと記憶していますが、その時の「口」は、言霊と書いたかもしれません。身魂磨きが進むと、言葉を慎重に選ぶようになると投稿者:加藤は思います。即ち言霊だとも言えるのですが、必要以上のことを話さなくなるとも言えるのではないかと投稿者:加藤は理解しています。それ故「口静か」となるのでしょう。

 「元の大和魂の誠の身魂 (みたま) 揃ふたら、人は沢山なくてもこの仕組成就するのざと申してあろが」と書かれています。簡単な言い方をするならば「大和魂を持つ、因縁の身魂は、少数精鋭で構わない」という意味です。これは「量より質」だということで、「元、大和魂、誠」の三ッを揃えた身魂のことを「真の日本人 (スメラの民) 」というのだと書かれていると投稿者:加藤は思います。「キが元と申してあろがな」と書かれています、この言葉の意味に関しては、本巻の第四帖をもう一度読み返してもらいたいと思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。