第七巻 日の出の巻 第十七帖 (R7.3.11)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第七巻 日の出の巻 第十七帖です、お読み下さい。
第七巻 日の出の巻
第十七帖 (二三〇)
何もかもひつくるめて建直しするのであるから、何処から何が出て来るか分らんぞ、御用はそれぞれの役員殿手分けて務めて呉れよ、皆のものに手柄さし度いのぞ、一ヶ (ひと) 処の御用二人宛 (づつ) でやりて呉れよ、結構な御用であるぞ、いづこも仮であるぞ世が変りたら結構に真通理 (まつり) 呉れよ、今は型であるぞ、祀れと申してあること忘れるなよ、まつはらねばならぬのざぞ、神がついてゐるのざから神の申す通りにやれば箱指した様に行くのざぞ。産土神 (うぶすなさま) 忘れずにな。十二月十九日、ひつ九か三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 187頁 より)
価格:8800円 |
本帖は岡本天明達の神業以降に対する指示書のような内容だと投稿者:加藤は思います。本帖で、我々も心に止めておきたい部分は「いづこも仮であるぞ世が変りたら結構に真通理 (まつり) 呉れよ、今は型であるぞ」の部分だと思います。岡本天明達の御用 (神業) が「型」を出すことであることは、日月神示 第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第十二帖に「今迄の事は皆型でありたぞ、江戸の仕組もお山も甲斐の仕組も皆型ぞ、鳴門とうづうみの仕組も型して呉れよ。尾張の仕組も型早よう出して呉れよ。型済んだらいよいよ末代続くまことの世直しの御用にかからすぞ。」とズバリ書かれています。
次に「産土神 (うぶすなさま) 忘れずにな」の部分ですが、現在では「産土神」と「氏神」とが十把一絡な状態となっていますが、厳密には全然違う神様 (神社) であることは知っておいてもらいたいと投稿者:加藤は思います。しかし、現代の生活様式を考えると、厳密に「産土神」と「氏神」を別けることは難しいのかも知れません、ですが別々の神様 (神社) であることには違いはありませんので、そのことだけは忘れない方がよいと投稿者:加藤は思います。さて、本帖中の「産土神 (うぶすなさま) 忘れずにな」の部分ですが、此処で書かれている「産土神」は現代的には「氏神」の方を指していると投稿者:加藤は思います。岡本天明達が神業を行った地の「産土神 (氏神) 」様への感謝と礼拝を忘れるなという意味と考えてよいと投稿者:加藤は思います。
最後に、本帖で聞き慣れない日本語が書かれていますので、説明を入れておきます。「箱指した」とは、仕組み通理、設計図通りに、縦横きっちり、ぴったりと上手くいくことといった意味です。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。