第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第二十九帖 (R7.1.26)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第二十九帖です、お読み下さい。

第六巻 日月 (ひつ九) の巻

第二十九帖 (二〇二)

 一日 (ひとひ) 一日みことの世となるぞ。神の事いふよりみことないぞ。物云ふなよ。みこと云ふのぞ。みこと神ざぞ。道ぞ。アぞ。世変るのぞ。何もはげしく引上げぞ。戦も引上げぞ。後に不足申すでないぞ。光食へよ。息ざぞ。素盞嗚 (スサナル) 尊まつり呉れよ。急ぐぞ。うなばらとはこのくにぞ。十一月二十五日、一二⦿。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 161頁 より)

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感想(12件)

 本帖は短い帖です。何度も当ブログで書いているように、日月神示の短い帖は難解です。本帖もかなり難解な部類に入りますが、頑張って読んで行きましょう。

 本帖で鍵となる言葉は「ミコト」です。日月神示 第一巻 第一帖 (日月神示のはじまり) の帖の締めくくりに「てんし様が神とわからん臣民ばかり、口と心と行いと、三つそろったまことを命 (ミコト) というぞ。神の臣民みな命 (ミコト) になる身魂、掃除身魂結構」と書かれています。本帖では「一日 (ひとひ) 一日みことの世となるぞ。神の事いふよりみことないぞ。物云ふなよ。みこと云ふのぞ。みこと神ざぞ。道ぞ。アぞ」と書かれています。本帖で言うミコトとは、「言霊」「神の道」などの意味を指しているように感じられますが、日月神示 第一巻 第一帖からの流れを総合してみると、⦿ から臣民へ流れるマコトとは、口と心と行いの三ッを通じて顕現すると考えられると思います。「光食へよ。息ざぞ」も別の表現で「ミコトになれ」と伝えている言葉だと投稿者:加藤は思います。

 「素盞嗚 (スサナル) 尊まつり呉れよ。急ぐぞ」ですが、これは岡本天明達に向けた神示で、本帖が降ろされた十三日後の昭和十九年十二月八日に「奥山」にて奉斎 (ほうさい) されています。「うなばらとはこのくにぞ」とは、海原とはこの国ぞで、スサナルが統治する国のことです。古事記にも「海原を治 (しら) す」となっています。海原とは「海」に限定した表現ではなく、広い意味で国=地と考えてよいと投稿者:加藤は考えています。昭和十九年十二月八日の奥山にての奉斎時、アマテラスとツキヨミも同時に祀られました。この奉斎時に、日、月、地、三貴神揃って祀られていたことは注目することだと投稿者:加藤は思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。