第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第二十七帖 (R7.1.21)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第二十七帖です、お読み下さい。

第六巻 日月 (ひつ九) の巻

第二十七帖 (二〇〇)

 神の国は生きてゐるのざぞ、国土おろがめよ、神の肉体ぞ。神のたまぞ。道は真直とばかり思ふなよ、曲って真直であるぞ、人の道は無理に真直につけたがるなれど曲ってゐるのが神の道ぞ。曲って真直ぐいくのざぞ。人の道も同じであるぞ。足許から鳥立つぞ。愈々が近づいたぞ。世の元と申すものは泥の海でありたぞ。その泥から神が色々のもの一二三で、いぶきで生みたのぞ。人の智ではわからぬ事ざぞ。眼は丸いから丸く見えるのざぞ。この道理わかりたか。一度はどろどろにこね廻さなならんのざぞ。臣民はどない申しても近慾ざから先見えんから慾ばかり申してゐるが、神は持ち切れない程の物与へてゐるでないか。幾ら貧乏だとて犬猫とは桁違ふがな。それで何不足申してゐるのか。まだまだ天地へ取上げるぞ。日々取上げてゐる事わからんか。神が大難を小難にして神々様御活動になってゐること眼に見せてもわからんか。天地でんぐり返るぞ。やがては富士晴れるぞ。富士は晴れたり日本晴れ。元の神の世にかへるぞ。日の巻終りて月の巻に移るぞ。愈々一二三が多くなるから、今までに出してゐた神示よく腹に入れておいてくれよ、知らせねばならず、知らしては仕組成就せず、臣民早よ洗濯して鏡に映る様にしてくれよ。今の世地獄とわかってゐるであろがな。今のやり方悪いとわかってゐるであろがな。神まつれと申すのぞ。外国には外国の神あると申してあろが。み戦さすすめて外国に行った時は、先づその国の神まつらねばならんぞ、まつるとはまつろふ事と申してあろが。鉄砲や智では悪くするばかりぞ。神先づまつれとくどう気つけてあるのは日本ばかりではないぞ。此の方の申すこと小さく取りては見当取れんと申してあろがな。三千世界の事ぞ。日本ばかりが可愛いのではないぞ、世界の臣民皆わが子ぞ。わけへだてないのざぞ。この神示よみて聞かしてくれよ。読めば読むほどあかるくなるぞ。富士晴れるのざぞ。神の心晴れるのざぞ。あらたぬし世ぞ。十一月二十三日、一二⦿。

* 引用文献に、脱字がありましたので、修正して投稿しています。誤:曲って真直ぐいのざぞ、正:曲って真直ぐいくのざぞ、です。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 159頁ー160頁 より)

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感想(12件)

 本帖は ⦿ (ヒ) の巻の最終帖になります。かなりの長文ですが、さほど難しい内容ではないと投稿者:加藤は思います。しかし、注意して置きたい部分は「此の方の申すこと小さく取りては見当取れんと申してあろがな」と書かれている部分です。このことを頭の中に置いて、今回の解釈を読んでみて下さい。

 「み戦さすすめて外国に行った時は、先づその国の神まつらねばならんぞ」と書かれています。「み戦」とは「御戦」のことで、古語では戦争意外に「軍隊」とか「軍勢」との意味もあります。さて戦争とは一体何でしょうか?戦争には色々な顔があると思いますが、信仰破壊の一面も持っています。現在の中東問題も、いまだに信仰破壊の戦争です。信仰破壊とは、戦争により侵攻した、その国の「神」を排除することです。今の日本人にとっては他人事のように感じるかもしれませんが、大東亜戦争が終わった後に GHQ が日本国に対して「神道指令」を発し、強制的に国家神道を廃止したことも、日本人に対して行った信仰破壊です。この事例のように、戦勝国が敗戦国の「神」を祀るなどは考えることが出来ないのです。が「小さく取りては見当取れん」と書かれていますので…

 ⦿ の巻 の最後に「世の元と申すものは泥の海でありたぞ。その泥から神が色々のもの一二三で、いぶきで生みたのぞ」と「愈々一二三が多くなるから、今までに出してゐた神示よく腹に入れておいてくれよ」の部分で、一二三が二度でてきます。ここで書かれている「一二三」は「一二三の仕組」とは別の意味で読んだ方がよいと投稿者:加藤は思います。「一二三で息吹いて生む」という表現があるように、ここでの一二三は「神の創造行為」と読めます。ですので本帖の「一二三」とは「神の言霊」だと理解してよいと投稿者:加藤は考えます。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。